拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

読書の秋…

秋が深まり、11月になってからぐーっと日照時間が短くなっているのにも関われず、人間界の方では何かが大きく変化しようとしている。

11月1日 大阪都構想反対多数で否決

11月5日 スイスの我がヴォー州において、レストラン、カフェなど今月一杯閉鎖…

11月8日 アメリカ大統領選挙、民主党バイデン候補当選

スイスに住んでいながら、山本太郎氏の活動を中心にネットでフォローしている。これまで山本太郎が関わった活動で目標が成就されることが少ないなか、大阪都構想反対運動はギリギリで成功して安堵した。

毎日メールで届けられるジュネーブ日本領事事務所からのスイスにおけるコロナ感染状況はここのところ、一日平均9000〜1万人の感染者数で、特にボク等が住んでいるフランス語圏は感染者が急増して各地方の病院も限界に近づいているという。毎週土曜日に汗を流すバトミントン専用場も閉鎖となってしまった。それでも春のロックダウンの時は2ヶ月間の完全閉鎖であったから、それに比べると現在は商店や、会社などまだ活動しているので雰囲気はまだ、春よりはまだまし…と感じているが、これからますます冬になるにつれて感染状況がどう変わっていくか?先が全く見えないのが若干怖ろしい。

そんな中、今朝、相方と早めに起きて(5時)アメリカのバイデン新大統領と史上初の女性副大統領ハリス氏等の『勝利宣言』を聞いた。…それで正直、安心感を得た。これまで正中線が傾いたような、不安定感が絶えずあって世界情勢につのる不安感にさいなまれていたが、バイデン氏の落ち着いて、堂々とした話しぶり、それを補佐するハリス副大統領の溌剌とした表情などを観て、やっと世界にも正常を取り戻す時期がやって来たぁ〜感で一杯になった。

大阪都構想でも、今回のアメリカ大統領選でも『票』が拮抗している印象を受けたが、その理由を自分なりに考える、というより想像の域で思うに、これはいよいよネットワーク社会創生期の弊害みたいなものが影響しているのではないか…と。日本語での情報、直接入ってくる情報に関してはある程度、自分で判断できるが、今回のようなアメリカ大統領選での、玉石混交の情報が錯綜する中での判断となると、何が真実なのか??誰を信じていいのか??これまでの大手新聞などの情報を信頼して判断してきた状況から、現在のネットワークによる個人レベルでの情報垂れ流し状態では判断する方も実に難しくなっている。

最期は自分の眼で、対象となる人柄を見極める…そういったアナログな『審理眼』が本当に大切になってくるのだろう。そういった意味でも『読書の秋』を改めて深めてみよう。

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 このほど、長年このブログにお世話になりましたが、以前使っていたブログにもどります。

blog.goo.ne.jp 

 今後とも、宜しくお願い申し上げます。

超越とウイルス

先日ジョニー・デップ主演、クリストファー・ノーラン製作総指揮、 ウオリー・フィスター監督の映画『トランセンデンス(超越)』を観た。

2014年公開の映画の内容はまるで、ユヴァル・ノア・ハラリ著の本『ホモ・デウス』を基にしたのか?と思わせるような内容・・・AIの研究者の脳をスーパーコンピューターにインストールしてナノテクノロジーとバイオテクノロジーなどを駆使し、地球の環境破壊を回復したり彼ら夫婦が理想とする世界を構築しようという話であるが、本が出版されたのが2016年であるから、もしかしたら著者がこの映画を参考にした・・・のかもしれない?

『ホモ・デウス』では人間が将来、寿命も身体機能も自在にコントロール可能な神的存在…になるであろう、という予測を書いたものであるが、映画はそれを実現しながらも、そういった状況を恐れる反テクノロジー過激派グループや、それまで信頼のおける仲間と思っていた研究仲間でさえも『あまりにも絶大な能力を持ったコンピューターに支配されるのでは…』という疑心暗鬼から彼の妻の体内に『コンピューター・ウイルス』注入して夫の電脳スーパーコンピューター破壊に手を貸す…といった内容であった。

『インターネットで世界は狭くなった・・・だが、ない方が狭く感じる…』という意味深なセリフはこの破壊工作から5年後の回想でこの映画が始まった。

ジョニー・デップ演じる博士が講演する場面で

『自我を持つAIがネットでつながれば人類を超える・・・これを一般に特異点(シンギュラリティー)と呼ばれるが、私はこれを超越(トランセンデンス)と呼ぶ』と言う。

質問者から『あなたは神を創りたいのですか?』と問われ、『人類はむかしからそうしてきた…』と答えた。

博士は過激派から発砲を受け死ぬが、彼の脳はスーパーコンピューターにインストールされる。

博士の古き友人であり、師匠的存在の黒人俳優モーガン演ずる博士がモニターに映るジョニー・デップの顔を観て驚嘆しながら『自我を証明できるかね?』と尋ねると、『難しい質問だ、タガー博士。君はできるか?』と逆に尋ねた・・・これはこの映画の中の重要な場面だったと思う。禅の公案そのものであったと思う・・・。

映画は、人間の意識+AIという人智を超えた力を持った存在に対して『ウイルス』を持って対抗し、そのために人類はそれまで構築したネットワークすべてを喪失し、世界中のすべてのコンピューターは完全に機能を停止され、コンピューター制御にたよっていた全ライフラインはストップし世界は大停電に見舞われ文明は崩壊する。

それって、2020年に我が地球上に起きた『新型コロナウイルス』が我々の生活全般において『万事休す』を思わせる状況…に似ていないだろうか?そしてそれは天からの令で?『万事休す』することで聞くことができる太陽(コロナ)からの『音信』メッセージではないのか。

映画の中で起ったと思ったAIによる『超越』はいまだ真の『超越』ではなく、自分を破壊するコンピューター・ウイルスと知りながら、『妻のウイルス』を『妻の愛』と共に受け入れた博士の行為こそが『超越』であり、同僚のタガー博士の質問『自我の証明』の答えであったということがわかる。

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太郎出没!


【仁義なき都構想 第一話】大阪が都(ト)になったら格好エエやん!編

スイスに住んでいるし、日本の動向はテレビでは見られないので、インターネットの世話になっているが、最近とみに『山本太郎』がFacebookライブやらYoutubeやらで本当によく見かける。特に『あかんやん・大阪都構想』とタイトルして大阪で街宣スピーチしている図をほとんど毎日のように見かけるようになった。

なんでも、来週の日曜、11月1日この都構想について賛否を決める大阪市民による『住民投票』が行われるとのことで、このままでは賛成する人が多い…という危機感をもった太郎が率先して街宣スピーチでこの『大阪都構想・反対!』を大阪市民に呼びかけてるのだ。

むかし、2015年春にも橋本市長、松井知事のコンビが『大阪都構想』を打ち上げ、『住民投票』を行い、僅差で反対派が勝ち、橋本氏などは、政界から去る・・・と宣言していたが。

今回またまた、都構想って、コロナ騒動第2弾が来そうであるというときに、何やってんネン…とボクなどはおもうのだが。

それで、一週間前の10月12日、大阪は戎橋というところで、山本太郎が街宣中、大阪府南警察署の警官が『れいわ新選組』の山本太郎の街宣の中止を求めた事件があった。

これにはさすがにボクもビックリした。いよいよ警察がこんな横暴なやり方で正当な政治活動に対して圧力をかけてきたのか!!!それに対してさすが山本太郎は一歩もひかず『中止を求める法的根拠はなんですか?』と警官に対抗・・・、こうした状況にボクは恐怖を覚え、これは大問題になるだろう・・・と、思ったが、翌日のメディアは沈黙を守った。

法を基にまともに戦ったら『不利』とみたのだろう、大阪警察すらも沈黙したままだった…。

その後、太郎はどうするのだろうか?と思ったが、以前よりも増して大阪での街宣を大々的に展開することになった。・・・そうしてみると、大阪府警察の脅しも、れいわ新選組の『あかんやん、大阪都構想』の反対運動の宣伝効果しかないなかったわけだ。

総理が菅総理に変わってから、民主主義に対するより陰険な政策を強引に押し進める風潮をコロナ風と共に強まっているのを感じる。

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『日日是好日』を読んで 

昨年だったか、アマゾンプライムで映画『日々是好日』を観て、素晴らしい…と思った。

それが先日、北海道の田舎に住んでいる姉と携帯の映電で話した時、この映画の話がでてもう一度見る気になって観てみた。そしてさらに森下典子著の原作『日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ』を読んだ。

この本を読んで、一層、映画『日日是好日』の素晴らしさを再確認したが、作者がお茶を通して『気づいていく』事柄をボクが禅の修行で感じた事柄と照らし合わせながら、その当時はボク自身言葉に出来なかったであろう思いなどが書き留めてある、数々の珠玉の言葉に出会って、日本の『道の文化』が健在している事実と、そういった難しい内容を見事に『本』や『映画』にして世に出してくた人々に感謝と賞賛を送りたいと思った。

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『世の中には「すぐ分かるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。すぐわからないものは、長い時間をかけて少しずつ気づいて、わかってくる・・・』作者の言葉

ここに『日日是好日』の日日の積み重ねがあることがわかるが、この日というのが、『曰く言い難し』の曰くの積み重ねである『一黙』の行・・・達磨さんの教えが日本に『道の文化』として黙々と伝えているところが素晴らしい。

世間(ソウシャルディスタンス)にマスク

『人間』という言葉・・・もともと仏教用語らしいが、江戸期まえまでは『世間』という意味合いで使われていて、江戸期になってから現在のような意味で使われている言葉らしい。

たしかに、人間は生まれてから何年もの間、一人では何も出来ない動物だし、成長してからも社会の影響のもとに生活を営む生き物である…そのような意味で『世間を渡る人』から『人間』となった、と考えるのが普通ともいえる。

しかし、もともと『人間』という言葉が仏教用語であったなら、こんな表面的な解釈で満足していて良いはずはない・・・と我が馬骨は考えずにはいられない。

そもそも時間、空間、人間…と順に並べた時、カン、カン、ゲン・・・と発音させるところにボクは尋常ならぬモノを感じぜずにはいられないのだ。

時間、空間、に逐一制限されている人間に『人としての次元』・・・を思わせる次元の『ゲン』を発音させる『間』を『人』にわざわざ付けた祖先の真意は??

それは、『世間』を渡る以前に『人間』の『間』について解決すべき問題がそこに秘められている…と観た時、ソウシャルディスタンスとしての『世間』を前にして『マスク』をしている自分に気づかなければ、この『人間』が秘めているモノがなんであるのかわからないであろう。

東洋の『マスク』がグローバル化した仏教的意義について、今こそ考えなければ・・・

 

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東洋思想勉強会・感想

9月16日のブログで案内した勉強会『東洋思想』が9月26日に行われた。

相方も参加して合計7人を前に馬骨の名前で約2時間半、途中休憩を交えてここ数年にまとめたはずの考えを披露した。

人前で話すのは、ガイドをしていた時以来…つまり18年ぶりだろうか?ホコリ高いというよりホコリ多い環境(引越し屋+倉庫勤務の宿命)で15年間みっしり務めたためか、喉が狭まったようで、最近声がでなく、2時間も続けて話すのは可能であるか心配でマイクとスピーカーをこの勉強会のために購入することを真剣に考えたが、相方に5,6人を相手に話するのにスピーカーは不必要と一笑され、ぶっつけ本番で話すことになった。

なにせ、こういう形で東洋思想というか仏教について話するのは初めてで、アウトラインは考えていたが、一つのことを話しているうちに頭にそれについて突っ込んだアイディアが浮かんでそれを話しているうちに、どんどんアウトラインから離れていくのが自分でもわかりながらも流される一方の自分が怖かった。

いずれにせよ、サブタイトルが『考えるな、漢字ろ!』で初めて『馬骨』の荒唐無稽な話を聞く人々にとって、ボクのアウトラインが在るかどうかなど、わからなかったであろう。

途中15分の休憩を入れて結局2時間半話したが、自分では時間の感覚がまったく無く、自分の思う20分が実際には一時間ぐらいの感じであった。であるから、次回は時計を見ながらペースを考えながら話さなければ…と思っている。話している本人は夢中でも、聞いている聴衆にとって甚だ退屈であった場合2時間半というのはあまりにも長すぎであろう。

それに聞いている人々が全員マスクをしているため、普通の状態よりは彼らの反応がもう一つよくわかりにくいという特殊事情もあったであろう。

この日来たほとんどが、20歳代で日本を発ち、30年以上ヨーロッパに住んでいる女性たちであるから仏教についての知識というのはあまり無く、そういった意味ではボクの話は新鮮であったようだ。

結局、声がでなくなる心配は徒労に終わった。こんなに長く日本語を話したのは何十年ぶりだろう。

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我が家のスイス風和食、ご飯、味噌汁、納豆、のり・・・我々の東洋思想の真髄 What else?

Images Vevey 2020 の写真フェス

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Images Vevey2020、 ローザンヌの隣街Veveyでおこなわれている。

今年はコロナのために2年おきに行われる写真フェスないんじゃないか〜っと思っていた・・・というか正直言うとすっかり忘れていたし、いつもだったらローザンヌの街角のアチラコチラにポスターが散見するはずなのに、今年は何故かほとんど見かけなかったので、先日たまたまVeveyの街に行ったのでこの写真フェスが行われていることを知った。

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駅前の小さな公園スペースに2枚づつ配置された写真…写真自体はどうということが無い・・・と思って何組かの写真を見ているうちにすっかり魅了されてしまった作品。一人の人の出勤風景スナップであるが、全て同一人物のほぼ同時間であるが日にちが違う2枚組写真。何組かの写真を見ていると写真家の意図がだんだんわかってくる面白さがある。服装はちがっているが、その人物の習慣(タバコやコーヒー)や心の持ち方までもまったく同じではないか・・・?と思えるほど、その人物の心境、或いは性格が時間の違う2枚組写真を見ることで透かして見ることが出来る気がするのが大変おもしろかった。

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小さな街Veveyで3週間行われる・・・無料で開放される『写真フェス』はバスまでも宣伝。

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今回の写真展で度肝を拔かれた作品。

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ポーランドの年配男性の作品。赤ちゃんの写真のベルトコンベアーがご覧のような状況でぐるぐる回るシステム・・・、作品としては写真というより、配置芸術(インスタレーション)であろう。コンセプトしては毎日たくさんの赤ん坊が地方新聞では写真入りで紹介されるらしいが、このことを新聞印刷機のイメージで視覚化して見せたい…というような主旨??らしい。

そして奥に見える電光掲示板の数字は上の黄色数字は今現在生まれた赤ん坊の人数、下の赤の数字は死亡者数・・・とのこと。とにかくこの規模を顧みず展示を実現させようとする心意気にボクはひたすら感心するのだ。

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この肝っ玉かあさんは、台湾の女性らしい。一番左の写真は一人息子の出産前の状態、以下息子の成長に合わせて数年おきに撮った母子の記念写真をどんどん背景に取り込んだ記録写真。

息子が20歳ぐらいになった2020年の記念写真が最期に展示されていて、彼らの生き様と肝っ玉かあさんと息子の人間としての成長を見ることで、時間が人に催す影響を見るようで興味深い作品だった。

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この作品は写真集になっていて、ボクは最初にそれを見たが非常に面白かった作品。

作者は日本人で住んでいたベルリンのアパートから見える一台の卓球台をめぐる人間物語…ともいえるような作品。

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まともに卓球をプレーしている写真がほとんど無く、物を置く場所になったり、椅子の代わりになったり、台の上で踊ったり、ストレッチ体操したり様々なことが起こる。

写真集の一番最期の写真は この卓球台が取り外しされている写真であったが、もし市の役員がこの写真集を見ていたら、多分この卓球台を取り外さなかったであろう…などと想像。

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教会内に設置されたスクリーンにどう見ても立体的に見え、重厚な音楽とともに刻々と変化する映像のクオリティーに驚愕した作品。

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以前にベニスの有名な展示会ビエンナーレに出品された作品とのこと。

…その他、素晴らしい作品が街のあちらこちらで展示されているので一日では全部は見ることができない規模のヴェヴェイの写真フェス、コロナ騒動の中、室内ではマスク着用が義務付けされ、入り口、出口には消毒液が設置されている中での開催は予想を裏切る素晴らしいものであった。