拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

Gstaadという商標

朝、目を覚ました相方が雪景色が見たい…と急に言い出してGstaadグスタッドへ行くことになった。

お金持ちの保養地としてスイスでも有名な田舎村は、とくに今のような寒いシーズン、スキーをやるわけでもないので相方が言うまで全く興味がなかった。が、ガイド時代に数回行った村がどう変貌しているのかいないのか?その点には興味があった。

モントルーから乗った電車はパノラマ電車で頭上の真上以外はガラス張り、それが10分もしないうちにレマン湖を見下ろす絶景に上がり、しかもうっすら雪化粧している様に雪の全くないローザンヌ人の我々は舞い上がったように携帯カメラとデジカメを持って車内を右往左往して撮影…それが山奥に向かってますます雪国の様相を濃くするものだから、いい歳をした爺婆は一時間しか離れていないツーリストとして完全に観光客化していた。

いくら有名な保養地でも冬は田舎街も閑散としているに違いないと思いきや❗

人こそツエルマット(マッターホルンの街)のように大混雑していないものの、僕でも知っている+知らない有名商標の店、といってもいかにもスイスらしいシャレー風の木造建物で田舎街風景にマッチした佇まいとウインドウのセンスはさすがに世界中の富豪が集まる場所だわい…と納得。

我が家を11時に出て、Gstaadに13時到着、少し街を散策して、相方所望のフォンデュを食べた。その後じっくり教会やら店を観て回り、コンテンポラリーギャラリーにであった。そこで今まで見たことのない作品郡に出会い実に驚嘆!イヤ~‼️ 大富豪がパット観て買うからこそこんな田舎にこんなギャラリーが~っ、存在するのだろー… と自分とは住む次元の圧倒的違いに背筋に寒気を覚えたのだ。それでも外から見るとガラス張りになっいるカフェのテラスには大富豪らしき老夫婦や若き管理職?と思わせるような容姿端麗なカップルたちが炎揺らめく最新ガラス張り暖炉の横にゆったりとコーヒー片手に寛いでいる様に、我らは自らのレベルを顧みること無しに暖炉の炎に吸い寄せられそのカフェに入ってしまったのである。

覚悟をしていたものの、チーズケーキ1個、1200円なり~❗ カプチーノ560円なり~❗の清水の舞台から飛び降りる、大富豪の仲間入りしたつもりになって注文。中に入ると犬連れの夫婦やマダムが散見して、この次は我々もぬいぐるみでも良いから犬を持ってこよう…となったひと冬の旅の一幕であった。


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御者(ぎょしゃ)の目の届かない所で相方は勝手にもふもふしていた図

 

ほとんど恒例の旅・パリ


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前回のように今回も携帯でこれを書いているが、奇妙だ。これまで机PCで書いてきた。

前回は旅先からだから選択の余地がなかったが…しかし、おかげで複数写真を同時アップできる編集アプリの使用出来ることがわかったし、携帯さえあればどこにいてもブログが書けるという発見は2019年に何か新しい可能性が開けるようで、ちょっぴり😁しい…

ところで恒例のパリだが🎵

今回はたまたま、大好きなミュージカルNotre dame de Paris, (原作ヴィクトル・ユーゴ)これが20周年記念でパリで違うスタッフで再演されたのだ❗

しかし、僕はあまりにも最初のオリジナルメンバーが好きすぎて、期待はずれも覚悟していた…。

結果は92点?ぐらいではあったものの、カジモド役の歌手は前回のガルを越える120点の素晴らしさで、ラストの彼の絶唱にボクは涙していたのだった。

3000人の観客がスタンディング・オベイションで拍手と歓声は終わらなかった。

次に、我々がパリというと「 十時や 」の弁当…

しかし、システムが変わったらしく、2日かけて挑戦したが食に出逢えず3日目にようやっと胃袋に納得してもらうことが出来た。ところで写真左は、なんと「 パリの回転寿司 」期待ゼロで望んだのが、良かったのか、安かったし雰囲気が回転寿司で日本にいるバーチャル体験に満足した。

真ん中写真だが、クリスチャンでもない相方は歳が行ったせいか、やたら教会が好きで、中をいくつも見学したなかでの一枚。

偶然にも一撮があたかも祈るかのような仕草…、後で二人でこれを見て大笑いしたが、まあ、今年のことを考えると笑っている場合ではなく、真剣に祈るのである。

右写真はメトロ、シテを上がった所にある植物を主に売る売店は日本の露天を想起させてなんだか懐かしい~図、、、であった。と、ここまで携帯で書いて、ちょっとしんどい…かも

 

 

竹・空を裂く


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正月2日にパリに行き、日本の竹工芸展に出会う。

パリに行くんなら是非観るといいよ…と友人が教えてくれた。

観てビックリ、そのあまりの質の高さに、つい日本人であることを誇らしく思ってしまう。

今どき、竹細工など無縁にように思っていただけに、まさにこの展のタイトルの如く「 空を裂く 」衝撃を観る人々に与えたようだ。

ボクには子供の頃毎日行った銭湯の脱衣場の竹かごの香りを想起させてくれた。

日本文化の底無しの深さは、経済の衰退と鮮やかに対比して、今後の日本の在り方を提示しているようであった。

合掌

この合掌ハガキは、この暮に亡くなった相方の伯母さんから、この夏に老人ホームに訪ねた時ボクがもらったもの。

伯母さんがこのハガキをボクにくれると言った時、東洋人であり、寺で短くない期間過ごした自分よりは、誰かが伯母に送ったであろう貴重な郵便ハガキは伯母の部屋にこれまでのように飾っておくほうがふさわしいのでは…と思い、そう云って断ろうとしたら有無を言わさず渡されてしまった。

この美しい合掌の写真がボクの部屋に来て、書棚の一角に置いてあり、見るともなく見ていたのだ…。

というのも、ある夜よく眠れない晩があった時に、どこからともなく『合掌』についての見解が勝手に深まっていた、ということがあったからだ。

寺で修行中、あれほどしょっちゅう合掌低頭を繰り返していたときには、そんな深い意味合いを感じ取ることが出来なかったのに、今頃その真意を悟るとは…。

これはやはり死を予感していた伯母さんからの贈り物であったろうか?

はたまた、長年無意識に疑問視していた問題が、この一枚の写真をきっかけに解けたか。

合掌といえば、ボクは子供の頃食事する時に言う『いただきます』に合掌を添えていたのか???どうかどうも記憶にない気がする。もしかしたら、この習慣は30歳過ぎてから禅寺で習った習慣のような気がするのだが・・・。

もう一つ合掌といえば、即仏教というくらい自分の中では仏教=合掌のイメージがあったが、大好きな仏像を思い浮かべると、案外合掌をしている仏像が少ないことに意外性を感じる。しかもなお、自分が発見したその意味の重要性に仏教=合掌であることに納得がいくのである。

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元旦にその意味を吟味することは、その習慣を持つ東洋人としてサムシングに違いない。

侘び寂びの景色

あ〜ぁ、今年もついに最後の一日になったか…

今年一年を振り返ると、やはり2017年6月で退職してから後の人生ということで否応なく章を改めることになり多少の戸惑いもあったが、徐々にむかし自分が目指していた道へと自然と立ち戻る形に落ち着いてきた気がする。

それは何かというと、ボクを欧米に突き動かした本当の理由というのは実は『禅』のミッション…ではなかったかと思うのだ。

それってボク自身が考えても『だいそれた志(こころざし)』であり、禅僧でもなく、底抜けの悟りを開いたわけでもないただの凡人の自分がする仕事ではないと解っていながらも、たとえ微力でも自分ができる形で何か出来はしまいか???(鈴木大拙の影響をまともに受けたオッチョコチョイの自分がいる)…と、中国気功体操『練功十八法』をたずさえて渡欧したが、肝心な禅にしても、語学にしても、夫婦の生計の面でも、なにより人として、とてもとても人前に立つことなど無理…と渡欧直後にそれこそすぐ悟った自分は『禅』のゼの字も発せずに30年の歳月が流れた。

その間、ガイド13年、引っ越し屋15年の社会生活の中で円覚寺で自分の中に蒔いた『悟りの種』を意識的、無意識的に育んで来たのだと思う。

片足を棺桶に突っ込んでいる年齢に至り、いよいよ何かの形で自分の言葉を発しなければ、見渡す限りでは誰一人としてその任を果たす者のいないこの地で、自分が悔いを残すばかりでなく、菩薩の誓願(衆生無辺誓願度)をないがしろにしてしまうのでは・・・と近年強く思い至たった。

これまで、なんだかんだと意気地がない自分に言い訳を云って避けてきたが、いよいよ正念場に自分自身を立たせなければ…との覚悟を新たに持って来たるべき新年を迎えようと思う。

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   2019年、皆様にとって素晴らしい年でありますように!

『いらっしゃいませ』の国

一度海外在住(特に欧米方面)経験した人間が身にしみて思うこと…は、何と言っても日本でのショッピングの快適さだろう。

そしてそれってかなり重要なことなのに、自分の中で何故か過小評価している…ていうか、どうにもならないこととして忘れるよう、諦めるよう自分を説得させているのだ。

今、ボクの回りでスイス人達が日本に憧れを持つ人々が増え、実際に何度も足を運んでいる人々ともよく出会うようになった。考えてみればボクの相方も一緒に日本に5年住んですっかり気に入り、ボクと約束していたスイスへの帰国の際には後ろ髪を引かれる思いで、日本を出国した。

なんでこんなに、日本は外国人にモテるんだろうか・・・

まぁ、いろいろあるだろうけど、日本は基本的に『いらっしゃいませ、の国』だからなのだと思う。

店に入って『いらっしゃいませ』というのは日本では当たり前。しかし、これは欧米では当たり前ではないのだ…。ここに、まず文化の違いを強烈に感じる。

よく日本文化の特徴を表す言葉に『和』というのがあるが、これは神道とか仏教とかその他もろもろの要素が長い間に集約して『和』という文化が出来上がった、そしてそれってよその国ではなかなか体験することができない貴重な文化を日本は作り上げたのかもしれない。

ちなみにフランス語圏では店の人は『いらっしゃいませ』とは言わない『ボンジュール(こんにちは)』というのだ。そして支払いが終わった際に『ありがとう』を言わない売り子さんも案外多い。『ありがとう』を言うのはむしろ客のほうだったりする。

生活の中で、ショッピングする比率がバカにならない時、僕らは『いらっしゃいませ』の国にあこがれる。

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 今日、ジュネーブで見かけた憧れのポーズ『いらっしゃいませ』を見た思い。

暮れる年

今日、クリスマスを一日前にしてニコルの両親、姉と娘&その婿そして我々夫婦でクリスマス会を開いた。

今年、11月にニコルの伯母(義父の姉)が93歳でなくなった。ボクがスイスに来てから初めて身近な人がなくなった。

30数年前、僕等がスイスで初めて借りたアパートは彼女の母親、つまり義父の母親が老人ホームに入ることになったので又借りすることになった。今思うと、老人ホームで会ったニコルのおばあちゃんはちょうど今年なくなった伯母ぐらいの年齢であった。

伯母さんは長いこと、親戚一同を会したクリスマスを催した。ボクも初めてお呼ばれしたときは、本場のクリスマスとはこういうのも…かと感心したものだ。

それが、夫が死に、孫たちも世界中に飛び立ち、いつの間にかそれぞれの家族単位のクリスマスになっていた。無常迅速・・・。

伯母は若かりし頃、脱走兵のポーランド人と結婚したが、そのために自国の国籍を剥奪されたそうだ。教師だった職も奪われたというから、どれだけスイスという国が頑迷な保守国であったか!だから2男1女を育てるのに大変な苦労をしたそうだ。

いろいろ聞けば面白い?話が沢山きけそうだったが…。

そういった事情もあったからだろうか、ボクのようなどこの馬の骨ともわからない人間を大変温かかく迎えてくれたことを、感謝をもってよく覚えている。

気候もすっかり寒くなり、暗くなると『湯』が恋しくなる季節になってきた。

小舟のような湯船にお湯を溜めている時、幼少時に毎夕方銭湯に連れて行ってくれた母を思い出した。なんせ家に風呂がないから、風呂好きな母は毎晩風呂に行った。

母は盲人だったから、手を引いたのは幼いボクであったけれど・・・

考えてみると、スイスのアパートに落ち着くまで、つまり39歳になるまでボクは銭湯のお世話になっていたことになる。ヨーロッパ在住で温泉が恋しい…とずーっと思っていたが、実はそんな贅沢な風呂でなくても自分は湯船に熱い湯に浸っていれれば自分のルーツにつながっているような安心感に抱かれるのかも知れない…とつくづく思った。

それに、前にも書いたが我が湯船は窓を開けると空を見上げることができる配置になって、露天風呂気分が味わえるのだ。

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