拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

春の彼岸に木蓮か?

昨日は春分の日だった。

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知らずに散歩していたら、あまりに見事な木蓮。

オリンピック博物館前の『木蓮』で、これが毎年どの花よりも早く咲き誇る木蓮でいつもこの時期であることを思い出し、ついで今日が春分の日であることを思い出した。

今日から陽が伸びて、いよいよ春か。そういえば、ローザンヌにある数少ない桜の花もほんの少し咲き始めて、日仏語交流のメンバーは花見の日を決定するのに迷って決めかねている…一応4月14日(日曜)を予定しているようだが、この調子だと桜は散ってしまっているだろう。

春分の日はまた『春の彼岸の日』であり、日本だと墓参りするということだ。

此岸から彼岸へ…という発想は、菩薩の四弘誓願で最初に来る『衆生無辺誓願度』の『度=渡す』から来ていてそれが『悟り』の世界へ人々をして渡して幸福に至らしめるというわけだ。

この渡す…というのが実に面白いと思うのだ。

何故なら突然、脳の話に行ってしまうのだが、自らの左脳の脳溢血によって、やもなく右脳を中心に機能させることで、自分の人格の変化を『ニルヴァーナ』と称した脳解剖学者ジル・ボルト・テイラー女史の書いた本『奇跡の脳』に詳しくあるのだが、我々人間は左脳中心の生活から右脳中心の生き方をすることで、つまり、左脳の此岸から右脳の彼岸へ主導権を『渡す』ことで人類の平和が維持することも夢なのではない…ということなのだ。

ちなみに木蓮の花言葉…高潔な心ということで、ニルヴァーナにふさわしいものではないだろうか。

 

 

いまさら『マトリックス』

先日、ジュネーブで『日本人ママの会』が専門の講師を招いて『サイバー・アディクション(インターネット依存症)』についてのお話を聞いた。

主題は、インターネットに夢中になっている子供達の行く末を案じて…だった。

ボクは自分の子供はいないが、自分自身が結構ネットにハマっている…といってもレベルが相当低いので、なんの心配もいらないが、『依存症』という症状はどんなものなのか…そのへんに割と興味があったので一緒に聞くことにした。

その女性講師は、日本でもそしてこちらスイスでも学生のそういった問題に関わる仕事をしているという。

学生に関していうと、『依存症』という段階までの人間は実際にはほとんどいないが、メンタルな面で日常生活に支障をきたすような様々な問題が少しずつ起きているという。

年少の子供が過剰に長時間ネットにつながっていると『脳に対する影響』が見られるということで、その点での行き過ぎは確かに心配しなくてはならないようだ。

しかし、一般的に思われているような、暴力的なゲームに没頭している少年が将来問題を起こす…というようなことは、実際にはほとんど無く、現実に統計を見ても子供達の暴力問題というのは年々減少している傾向にあるという。

去年か一昨年だったか、『暴露 スノーデン』という本を読んだ時ボクのブログに書いたのであるが、著者がスノーデンにゲームについてインタビューすると『ゲームによつて正義感の強い人間になることが、出来た…』というような回答があって非常に印象に残った。スノーデンのような人こそが『ネット依存症』一歩手前のぐらいまでにネットに没頭している者はいないくらいであろうと思うが、そういった人がこういった回答をしているのは大変興味深いものがある。

講師の話が一通り終わったところで、お母さん達が『ゲーム』に関することを自分の子供を例にあげて具体的な質問がいくつか出たが、こういった話を聞いている時、ボクは1999年に一般公開した例の映画『マトリックス』について考えていた。

あの映画にボクはいろいろな意味で強烈に惹かれていたが、その一つがゲーム的な要素を持つソフトによって、僕等は物凄いスピードでシュミレーション学習している時代に我々が生きている…ことを改めてこの映画で体験的に確認し、共感し得たところに驚きと喜びを皆感じたのではないだろうか?!

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それは、去年ローザンヌの連邦工科大学EPFLに出来た新しいギャラリーで太極拳をする人間の動きを分解連続シーンで映像で見せてくれた画像と自分の太極拳姿を組み合わせるというマトリックスな映像創りに続いてところにも一撮サイバーが生きている図

トンボと懺悔

昨日、久々に高台にある『蓮池』散歩コースへ。

去年見た蓮池のワイルドぶりからすっかり、スッキリ何もかも切り取られて、人工のコンクリートで固められた広めの2レーンコース50mプールの様相をしていた。

もちろん、穏やかな水面下にはしっかり根を張っている睡蓮の根が複雑に絡み合って夏にはカエルや金魚が迷い隠れこむジャングルが形成することを静かに企んでいる魂胆が水面が映す景色を透き通してミエミエだったのがおかしい。

その人工池の山側斜面に、切り倒した木から彫り出したばかりの人間大のトンボが無造作に置いてあった。いかにも子供たちを引き寄せるかのように…

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      案の定、我が永遠の『童ニコル』がトンボになった図

このトンボって…今の子供たちが見てどう思うのだろうか?

これじゃまるで怪物のような気もするが、数少ない、見ることがあまりない現代では逆にこれくらいの方が親しみを持つことが出来るのかもしれない。

トンボというと、我が故郷と幼い頃の自分の思い出に直結するが、それは懐かしい思い出でもあり、今思うと実に野生(ワイルド)故に無慈悲だった自分を悔いることに直結することを改めて思い出させられる。

今思うと、本当に信じられないくらいの数のトンボが、我が家の裏の小さな丘状の畑に舞い飛んでいた。空を埋め尽くす…という表現が大袈裟でないくらいのトンボの数…

だから、畑の柵の上にはトンボが鈴なりに止まっていたが、幼いボクはそれを平気で木刀で叩き殺していた。ときにはトンボを何匹か丸めて猫に食わせていた…ような気もする。近所のガキ共と一緒にそんな所業をしていたが、大人がそばにいたわけではないので、或いはいたとしても誰か『殺すな!』と注意した大人がはたしていたかどうか??疑問ではあるが。。。その当時はキャベツなどに取り付く蝶々の幼虫の毛虫などがキャベツを食い荒らしていたから、そういう意味で僕等ガキ共は天敵としての役目を果たしていたのか?どうか?やたら沢山いたトンボはなにか人間に被害をあたえていたのだろうか??そういえば、蠅は実に沢山いた。幼い頃の記憶として、茶碗によそった白御飯に蝿がたかって黒くなった場面がたしかにある。

便所は当然、肥溜め式で夏にはウジ虫が無数にいた。それを隣の畑をやっている小菅さんのおばさんが裏の畑に肥料として撒くので『ちょうだい…』といって専用の桶に汲んでは裏の畑に撒いていたっけ…。今考えるとなんと野生(ワイルド)な!!!

まぁ、そういった環境であったからトンボを含めた虫を殺すことにはなんのためらいもなかったのかもしれない。

しかし、ボクが小学生何年生であったろうか、はっきり覚えてないが、できればより幼い時であったことを願うが…ある時、ボクはパチンコというゴムで出来た石ころを玉に飛ばすことが出来る飛び道具ですぐ近くにいた雀を打ち殺したことがあった。こんな近くから打てば雀は死んでしまうと、わかっていたが、自分の好奇心を止める事が出来ずにボクは打ってしまった。その雀はボクの手のひらの中で震えながら死んでいった。

ボクはそのことをもの凄く後悔した。悲しく思った…。以来ボクは無益な殺生をやめた。

世の大人たちは、皆同じような経験をして『慈悲心』を身につけるのだろうか?或いは親や周りの大人達に教えられて身につけるのだろうか???

『懺悔』という言葉は、ボクはキリスト教徒が行う行為と思い込んでいたが、言葉自体は元来仏教用語だそうだ。神仏や他人に許しを乞う行為を懺悔という。

バトミントン・スイスオープン2019を観て

先日、英国オープンが終わったばかりのバトミントンが引き続きスイスオープンと来て

目下ヨーロッパ中を巡っているようだ。

ドイツオープン2月26〜3月3日、全英オープンが3月6〜10日、で目下スイスオープンが3月12日〜17日となっている。

歴史ある全英オープンでは男子シングルスで日本初優勝した桃田賢斗選手。

女子は中国選手優勝し、3位に日本選手山口茜と奥原希望選手。女子ダブルスは優勝は中国で、2,3,4位と日本選手であった。

今週末にスイスオープンの準、決勝があるがようがあって行けないので、昨日木曜日に第2戦目あたりを見てきた。

20年前はバトミントンを始めたばかりの頃でスイスオープンの行なわれるバーゼル市

(電車でローザンヌから2時間)へ毎年よく通ったものである。

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先日の全英オープンで優勝した中国のChen Yufei 選手(女子)が来ていて感激!

(日本のトップ選手は全英オープンで疲れているから参加していなかったのでなおさら…)

女子シングルスでは日本人選手の活躍が目覚ましいが、日本、中国、台湾、インド…とアジア選手が強く、誰が何時、どの試合で優勝してもおかしくないレベルで来年のオリンピック目指してしのぎを削っている真っ最中。

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スイスオープンで第一位シードされているShi Yuqi中国選手は全英では3位であった。

彼のプレーを実際に間近で観て、一流選手とはこういうものか!!とその技に感激した。

加えて、中国のトップ選手は謙譲の美徳を心得ている方が多いように見受ける。

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日本の女子ダブルス志田・松山組も昨日までの時点で勝ち進んでいる。

大型のヨーロッパ選手の中で小柄な日本選手は今や小さいことは劣等ではない。

スタミナと素早い動きが相手を翻弄する!(今スピードスケート界で頑張っている日本女子選手、小平奈緒、高木美帆、菜那姉妹、佐藤綾乃選手)などと同じだ。

スイスオープンもやはり、20年前とは違っていた。昔は決勝のみライトアップしてスペシャル感をだしていたが、今ははじめから全試合ライトアップしているようだ。

朝10時〜17時ぐらいまで観て帰宅電車にのったが、なんの理由かわからないが電車が途中で止まり、強制乗り換えしたうえで、次の駅で約1時間待たされた。運良くスイスヨネックスで働いている友に出会い一緒に帰ることができた。

明日土曜日には、いつもは一緒にプレーするバトミントン仲間も準決勝を皆で見に行くので明日はボクもバトミントンを休みにする。

 Coda-最終楽章

二日前の8日、ニコルがローザンヌの最小映画館Zinema(ジネマ)13席ぐらいの映画館で『Ryuichi Sakamoto Coda』…というタイトルの映画やってるけど、行ってみない?

というので、出かけてみた。

Coda…ってなんじゃろうかナア?ってな感じで観にいったが、

映画館を出るときには、なるほど・・・と思いながら映画の余韻をできるだけ長く保とうとしていた。

スイスに住んで思うことの一つに、映画についてのInfoというか、宣伝というかそういうものについてのインフォメーションが外から自分に向かって入ってくるということがほとんど無くて、自分から求めようとしない限りどんな映画がどこでやっているか…というようなことがよくわからないようなシステムになっている。

 

しかし、なんの予備知識も無くいきなり観て、素晴らしい作品であったならそれはそれでよく出来たシステムだとは思えるこの頃。

このドキュメンタリー映画は2012年から5年間に渡り密着取材によって実現。

最初のシーンは大震災後2012年に坂本氏が福島を訪ねて大津波で水中に飲み込まれた音の狂ったピアノの鍵盤を叩いて音を聞くところから始まった。

『この調律から外れた音はテクノロジーに頼る現代人の営みが自然環境を蝕み、人間の息場所をも奪ってしまうことへの悲しみと憤りの象徴』…とは彼と監督の共通の思いのようだ。

2014年3月11日、彼が放射能防護服を着て禁止区域を訪ねるシーン、被災地で行われたコンサートのシーン、首相官邸前で原発再稼働反対を訴えるデモに参加して彼がマイクを握るシーンが続いた時、あと数日で 3・11 の8回目の記念日を迎えることをボクは強烈に思い起こした。

この映画を今、ここローザンヌでやるっていうことには、こういった思いの狙いがあったのだろうか??と不思議に思った。(日本では2017年11月に公開)

 

ボクのこれまでの人生で有名人との接点はほとんど全く無い…と言いたいところであるが、唯一例外はなんとこの『坂本龍一』氏なのである。というのも昔、小学館発行の写真雑誌『写楽』というのがあって、このコンクール『写楽賞』に自写像作品で応募したところが『坂本龍一賞』を1984年に受賞したのだ。授賞式の日に坂本龍一、篠山紀信(写真家)、中上健次(作家)、長友啓典(アートディレクター)等の面々が集ってくれた。

当時坂本龍一氏はこの前年1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』で押しも押されもしない有名人で、ここに集った有名人の中でも『坂本龍一賞』が一番重い賞とされていた。実はボクと坂本龍一氏は同じ1952年生まれの辰年で彼はそれを名前に付けたわけであるが、ボクの名は伸治朗というが、親父は最初『辰ジロウ』と考えていたのだが、親の自分が『虎年』なので龍と虎では仲違いする…というわけで本来『辰』のところを『伸』とした…といういきさつがあったらしい。

ということで、ボクの方では同年齢の坂本龍一を少しくライバル視していたようなのだ。

もちろん全く問題にもならないボクの存在ではあったが、気概だけは『坂本龍一がなんぼのもんじゃい・・・』と内心思っていたのは事実。しかし、この受賞日の前日までボクは友人が主催した一週間の『断食』を初めてやり終えたばかりであったので、頬も痩せこけて精気のない顔をしていたと思うが、篠山紀信がボクとボクの自写像作品を見て『あなたはジャンキーですか?』と言われたことと、作家の中上健次氏から『あなたは小説をかけますよ…』と言われたことだけを覚えていて、坂本龍一氏とは何を話したか全く覚えていない。

そういった事があったので、3・11の後、坂本龍一氏が反原発運動に参加してスピーチする姿などを見るとまたひときわ嬉しかったりしたものだ。

今、互いの年齢も六十も半ばに至り彼の人間としての深まりを見ることは、なんか遠い友人の成長ぶりを見るようでこれまた独特な嬉しさがあるようだ。

映画の中で

人間が作り出した工業製品であるピアノの音は、どんなに弾いてもやがてノイズの中へと消えていくというテクストの中での発言で『持続する音への憧れ、ある種の永遠性への憧れかもしれない…』という一貫して音を探求していく彼の姿が非常に印象に残る。

と同時に、道は全く違ったが『龍』の彼の憧れである『音』というものに『辰』であるボクは禅を通して『観音』という永遠の『音』に行き着いたのは面白い。

タイトルの『最終楽章』というのは松尾芭蕉のような俳人の辞世の句を意味するのであろうか?

60歳も過ぎれば、本当にいつ死んでもおかしくない…という意味では『自分が詠む句はすべて辞世である…』とは、芭蕉の言葉であったらしいが、芭蕉の辞世の句は

     『 旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる 』 芭蕉

       

 

祝〜婦人ディ

今日は『国際婦人デー』だそうだが、相方ニコルが彼女のフェイスブックで『国際男デ〜』も作るべきだ、そうじゃないと今日以外の364日が『男デ〜』のような感じがするので…と書いていた。

なるほど・・・。

ボク個人は女性を『女神』あるいは『観音』と崇める者の一人で、尊敬の念をいっときも欠かした覚えがない、『国際婦人デー』というものがあるならば、その日は一層その念を強くもつものである。

その際に念頭に来るのはやはり、母という女性であるが、ボクの場合は母が二人いるのでまずは赤の他人の赤ん坊のボクを自分の子の如く、まさに無償の愛でもって育ててくれた『菊池の母さん』への言葉にできないほどの感謝の念だろう。

母が87歳で逝く、6ヶ月前にスイスから帰国して会った時、ボクが母の家に来た経緯(いきさつ)を話してくれた。産後、実の母の体調が悪く赤ん坊の世話ができなくなり、よその家に預けるのだが、夜泣きがひどく7軒目にようやく菊池の母さんのもとへ来た…のだそうだ。そういうわけで、母乳を飲ませられなくて、ミルクと米のとぎ汁を飲ませて育ててくれたという。

以来、育ての母のところにもボクの姉にあたる人がいたし、ボクには小学校へ通う頃から一緒に住むことになる実の姉もいて周りには女性ばかりがいた。というか、男性がほとんどいなかった。(菊池の母さんの旦那は穏やかな人で存在感の薄い人だった。)

しかも、育ての母は女の子が好きであったので、ボクを3歳頃までおかっぱ頭に赤系の服を着せて女装させていたのだ・・・。

だからかな? 相方からフェミナンぽい…とたまに言われるし、電話にでるとしょっちゅう『マダム?』といわれてしまう。確かに、声が小さいし、少し高めでわあるが。

先日、日仏語交流会で知り合った若い日本人女性に『最初は恐い人だと思って緊張しましたが、優しいんでびっくりしました…』と40歳下の女性にいわれて複雑な気分になった。確かに鏡で見る自分はどちらかというと強面だ。(成長の証か?)

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 この頃はまだ少し目が見えていたようだが、後に全盲になった母と一撮

唯我独尊

お釈迦様が産まれた時、7歩あるいてこう言った『天上天下唯我独尊!』・・・

ボクはこれを、絶対カッコいい!…と、ずーっと前から言葉以前の感覚で捉えていたつもりでいたが、いざこれを人に説明する時、どう説明していいかわからずにいた。つまりよくわかっていなかったのだ。

それが、先日ローザンヌの茶屋『丸茶』さんで『禅を知ろう』という題で話をする機会を得ることでボクの中でいろいろな事に焦点がピタリとあって観えてきた。

その一つが『天上天下唯我独尊』

これは今現在世間でどういった場面で使われているかというと、独りよがりの人物を揶揄して使われる言葉になってしまい、仏教徒としては大変情けない状態になっている。

しかし、実際この短い言葉の真意を捉えることは並大抵のことではないと思う。

これはまさに禅の公案そのもので、釈迦が菩提樹の下で宵の明星を観て悟った内容そのものではなかろうか。

生まれたての赤ん坊のお釈迦様が自分が将来『悟り』を開くべく予告宣言したわけだ。

『天上天下唯我独尊!』

時空を超えてただ我一人尊い…とこれで最終的にいいのだが、これでは大衆は理解できない。

これは唯我、独尊と分けて読んで

唯我〜無我の我に覚醒めた時のみ、 独尊〜尊厳だけが生死を貫いてある。と観じなければ真意を汲み取ることができない…とボクは読むにいたった。

しかし、茶屋で話をしているとき、話があちこち行ってしまい『唯我独尊』は言い忘れてしまったが…。

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