拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

太極拳考(1)

 数ヶ月前、NHK大河ドラマ『功名が辻』にハマり、その中で織田信長による能の舞を何回か見ている時、ふと『太極拳=禅=能』の思いが強くなり、以来『太極拳』について何かが深まったようなのだ。

特に今年になってから週3回近くの公園を走り、そのあと太極拳をするのが日課になっていて太極拳は動禅であるとつくづく思い至っているこの頃である。

ボクと太極拳の関わりについて考察してみようと思う。

円覚寺老師の弟子になったのが1987年でボクが35歳の時。

翌年1988年3月より渋谷だったか、楊名時先生ではなかったが、その弟子の方に『鶴の舞』と称される太極拳を最初に習った。楊名時先生の本を2冊持っているが、写真による楊先生の太極拳は実の優雅である。しかし、当時のボクにとって太極拳は基本的には武術であると理解していたので、あまりにも優雅で、武術を感じさせない楊名時太極拳に物足りなさを感じたようだ。

1989年3月からボクは村瀬大翼氏による太極拳を学び始めている。

村瀬先生は大道学舎という組織を主催して、禅と太極拳の指導を並行して行われていた。先生にとって太極拳は動禅であると解しておられ、坊主頭に長い髭を蓄え一般人に対して親切丁寧に禅、太極拳を指導されていて非常にユニークな存在であった。

一度大道学舎による滝行をニコルと一緒に参加したことが懐かしい。当時ボクは禅を円覚寺老師に師事していたので、村瀬先生から禅の指導を受けるつもりはなかった。

この村瀬先生より同年6月に24式太極拳の試験を受け、指導資格を受けた。

村瀬グループで知り合った女性が飯田橋にある『日中太極拳交流教会』中国人指導者

李徳芳先生の存在を教えてくれ、早速8月から李先生に指導を受けている。

9月からは週2回、1991年7月まで指導して頂いたのでほぼ2年間学んだことになる。

1991年6月に24式太極拳を制定した李天驥老師の娘、李徳芳先生より専門コース修了証書を頂いた。

この時期は毎月の円覚寺での接心に参加して禅修行に打ち込んでいた時期と重なるが

寺に行っていないときはよく公園などで練功十八法と太極拳を練ったものだ。

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1990年8月代々木での太極拳武術大会に最初で最後の参加した際の図(写真を見て頂くとわかるように3人で演武を開始したが他の2人が非常にゆっくり、でボクはいつものスピードでやっているとだんだん先へ進んでしまい、それを気にした途端、頭の中が真っ白になり一時中断してしまい、失格となってしまった…)

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一方、ニコルは24式太極拳女子参加者、120名中34位という輝かしい成績を残したのだ!

こうして振り返ってみると、当時は何も考えていなかったが、錚々たる先生方におしえを受けていたのだと還暦するばかりである。

そして面白いことは、今現在ボク自身の太極拳が最初に学んだ楊名時先生の『鶴の舞』流の太極拳へより近くなっていることだ。

あらためて先生の本『太極拳』を見ると、禅僧として著名な河野太通老師の推薦の言葉と題字が寄せられ、禅と太極拳が相通ずることを証しておられた。