拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

常不軽菩薩に思うこと

今日もカテゴリーとしては(東西異洋文化事情)。

最近、本屋をぶらりとしていたら、日本関係の棚に(Ryokan〜梅の花)と題した小冊本を見つけた。

良寛の短歌集で日本語〜ローマ字読み下し〜フランス語訳となっていた。

バラバラとめくって、眼に飛び込んできた短歌

 

『 僧はただ 万事はいらず 常不軽 菩薩の行ぞ 殊勝なりける 』良寛

 

良寛の短歌やら漢詩やら俳句などがたくさんあることは知っていたが、この詩は初めてお目にかかって、ボクは(一丁前に)いっぺんに良寛を肯った。

あぁ、良寛は仏教をこんなふうに思っていたのか・・・と。

常不軽菩薩とは

『法華経』に登場する菩薩の名前。彼は人を見ると『われ常に 汝を軽んぜず 汝まさに昨仏すべし』(わたしはあなたを軽蔑しませんよ、あなたは仏さまになられるおかただ…)・・・と、一人ひとりに丁寧に礼拝されたという。すると拝まれた人が、気色悪がって『わしはお前さんに、そんな予言をしてもらう覚えはない、うるさい!』といって、罵っても、殴っても、石を投げつけても逃げながら、『われ常に汝を軽んぜず、汝まさに作仏すべし』と言って拝まれ、一生をこの礼拝で貫いた。この菩薩こそ、釈尊の前生のご修行であったという。

ボクは30年ぐらい前に誰の著書であったか失念したが、この常不軽菩薩の話に大変印象づけられ、(ノートに書き込んでいたのを、最近発見)その後もこの名前に出会うたびに仏教の最も深いところを表現しているように思って心の引き出しの一項目として大切にしていたものが、たまたま今回、良寛の詩でこの名を観て触発した。

釈迦は、悟りを開いた時 『草木国土悉皆成仏』と言ったそうだが…

まぁ、それは置いとくとして

日本へ旅行した外国人の多くが、日本の虜になってしまう現象をみるとき

ボクは、仏教のこうした常不軽菩薩の話が象徴するような『他者への尊厳』の思想…などという型苦しい在り方ではなくまさに自然にそういった風潮を醸し出す国が日本ナノではないか?…というようなことは、海外に長く生活しているとよくよく感じられることではある。

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スイス人の禅僧、道海さんの後ろ姿…彼こそは洋風『良寛』とボクは密かにおもっている。