拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

 人情の街 パリ-2018

パリにはもう何回ぐらい行っただろうか? 少なくても20回以上は間違い無い。
スイスに住んで、今年で足掛け27年目だからもうそれくらいは行っているだろう。
我が街ローザンヌに比べると比較にならない大都会パリ…だけど、パリに行くほど大都会には薄れているはずの
『人情』が感じられるのが、今回は一層何故だろうか…と考えてしまった。
パリのホテルに3泊うちの2泊目は、よく眠れず、しかしいろいろなことを考える事ができてよかった。

パリには貧しい人達が沢山生活している、人種もいろいろ、そういった人達が助け合って生きていくあり方が
もう昔から定着しているからではないだろうか。
スイスは…というかボクの住んでいるローザンヌは例えば、お祭りでパレードで紙吹雪なんかが散らかった時でも
その後ろから清掃車がゴミを拾っている(実際にそれを見た)みたいなところがあり、市の衛生管理が異常に厳しくて
屋台の店なんかは絶対と云っていいほど許可など出ないから、汚くても美味い店なんてあり様がない…。
スイスの公共施設など四角四面であまりに規格然し過ぎのきらいがあり、そういった点が人情の発露を
阻害しているのではなかろうか…とか、厳しかったらしいプロテスタントのカルヴィニズム(それについては
あまり良く知らないので、今年の研究課題にすることにした!)、あるいは人種的な違いラテン系、ゲルマン系
スイス人の祖先はヘルベチア民族でケルト系・・・とか、考えると面白そうな課題が眠れない頭に湧いてきて面白かった。

テアトル:Bobino〜パリ第一夜は歴史のある劇場、一昔前はかのエディト・ピアフも歌ったという劇場に4人組による
演劇兼アクロバットを観た。時代は1900年代始め、一人の女性がお金を目的に金持ちの男性と次々と結婚しては殺害して
ゆくという、どこか殺伐した物語をメインにコミカルな動きで笑わせ、最後に一本の支柱を使ったアクロバットでしめる…
そういった内容であった。
全体の3分の2は、ボクはあまりの演出の酷さに絶句気味で、こんな出し物がパリであるんだ!…と思い、ところどころで
拍手などしている人間に対して、なんで拍手??であったが、最後の場面のアクロバットになると後味の悪い劇もなく
結構スリリングなアクロバットが続き、息を呑む場面があったりして最後の最後は大半の人がスタンディングオベーション
していた。ボクはこの現象に一晩解せないでいたが、翌日人情市場にでかけたとき、あの安っぽい演出にこそどこか日本の
演歌に通じる人情みたいなものがあるのではないか…と思うようになっていた。そう云えば結婚する前にボクとニコルが
東京に住んでいた時、スイスからニコルの両親が10日間遊びに来た時、浅草を案内してなんと、浅香光代劇団による
チャンバラ劇を観せたのであるが、もとオペラ歌手だった義父は憮然とし、義母もその後悪評たらたらで、ボクは冷や汗を
かきながらも、もっと他人の文化を寛容に受け入れろ!と内心思ったりしたものであるが、今回のBobinoの劇も
もしかしたら、そういったニュアンスがあったのであろうか???


ボクが、『人情市場』と名付けているガールドリヨン駅から近い12地区のAligreと呼ばれている市場一体のところの
あるカフェ・バーに入ると中年のマダムが市に働く男達や常連の男客が入れ替わり来てカウンターで立ち話してゆく。
我々も話しかけると愛想よく相手してくれた。
あらゆる食品から、衣料品、ガラクタ品などそれが、毎日市場だそうで、服なんか1ユーロから買える庶民の市場だった。
ここには、数年前に亡くなった友人が住んでいて、何回か案内してもらった。今回はひとしお人情を感じる。

スイスにはない、気が安らぐ気楽さに気を良くしている図


ニコルにとって、親戚のオジサン、伯母さんみたいな古くからの友人宅へ、夕食の図
リンゴのまるゆで…なんかパリの老舗風のデザートでボクはすっかり夢中になった図


パリに来たら必ず行く『十時屋の弁当』図
考えたら、十時屋の変わらぬ、6,7種の幕の内弁当におかずを3品選ばせてくれるシステムに
まさに、『人情』を感じるのだ。本当は実に面倒くさいサービスだと思う。もっと簡単に儲かる
方法で出来ると思うけど頑固なまでにこの姿勢を続けている所に…今更ながら感謝し、パリに行く
楽しみの重要な一つなのだ。今回もボクは3日毎日行ってしまった。