拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

 エマニュエルは何故…その2

 先日の自分のブログを読んでいて『あれ〜』っと不思議に感じたことがあった。

 というのは32年前ニューヨークから2度目にローザンヌに来て、約一年間滞在した時
 ボクは『Zen』について、このエマニュエル先生と同じ感想(Zenが氾濫している)を強く抱いたことで
 ボクの人生に大きな転換をもたらした…ということに気付いた、というか思い出したのだ。

 1986年当時は現在よりも『禅』やら『東洋医学』が世界的に注目されていた時期で
 特にヨーロッパには禅僧、弟子丸泰仙氏(1912〜82)がフランスを拠点に普及につとめていたので
 本屋さんにも禅に関する本が今よりも沢山あった。実際フランス人の禅僧がローザンヌで講演を
 行っていたし、人々も大変興味を示していた。
 
 この頃のボクは、一応、日本にいた時、円覚寺の土日坐禅会に2〜3年常連のメンバーとして通ってたし、
 ちょっとは禅を知った気になっていた。それに鍼灸学校を卒業して、鍼灸、マッサージの免許も持っていて
 東洋医学も知っている気にもなっていたから、まさに『東洋の男』…の自負をもった鼻持ちならない男であった。

 それで、この一年間ローザンヌで何をやっていたかというと、ボクは1970年代に中国で作られた気功体操
 『練功十八法』を普及しようと幾つかのグループに体操を教えていた。34歳で若気の至りと血気盛んであったから
 禅で学んだ『勢い』で(仏語も出来ないし)教えたりしていた。

 『禅をやってました…、鍼灸もできますよ〜』…なんて云えばチヤホヤされる風潮のなか、東洋の神秘をちらつかせて
 ヨーロッパに定着するのは『赤子の手をひねる』より簡単な現状に、大変安易に『Zen』の名を冠して商売する
 人々を目の当たりにして、ボクはいつの日か『疑念』を起こしていたのです。

 海外に行くにあたり、日本の事を知ってから行きましょう…ということで、東洋医学やら禅をした、といういきさつが
 あったわけですが、実際2〜3年やったからといって何かわかる…というものではない!・・・ということがこの時よくわかったのです。

 それで、円覚寺であらためて老師の弟子になって禅の修行をしようと決心してスイスから帰国しました。

 ・・・確かにある意味、エマニュエルの『Zen』にたいする疑念は理解できるが、闇雲に排斥しようとすることはおかしいし、
 日本文化に対する侮辱ではないだろうか。まして、大学の日本学部の責任者であり、翻訳で日本の賞を3度も受賞してるのであれば
 なおさらだ。
 日本人でも禅を分かる人は少ない、しかし、禅から派生した文化(老荘思想や神道も含み)から育まれた精神が日本の至る所に
 浸透しているのは事実で、それが外国人に憧れさせる魅力をもっているのも事実。
 ここヨーロッパでも『Zen』の言葉が至る所に浸透しているというのは、やはり意味があるのだとおもう。
 人種、文化にかかわらず人の心の故郷が『禅』であるから、自ずと人の心を惹くものがあるのだと、ボクは思う。