拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

 Coda-最終楽章

二日前の8日、ニコルがローザンヌの最小映画館Zinema(ジネマ)13席ぐらいの映画館で『Ryuichi Sakamoto Coda』…というタイトルの映画やってるけど、行ってみない?

というので、出かけてみた。

Coda…ってなんじゃろうかナア?ってな感じで観にいったが、

映画館を出るときには、なるほど・・・と思いながら映画の余韻をできるだけ長く保とうとしていた。

スイスに住んで思うことの一つに、映画についてのInfoというか、宣伝というかそういうものについてのインフォメーションが外から自分に向かって入ってくるということがほとんど無くて、自分から求めようとしない限りどんな映画がどこでやっているか…というようなことがよくわからないようなシステムになっている。

 

しかし、なんの予備知識も無くいきなり観て、素晴らしい作品であったならそれはそれでよく出来たシステムだとは思えるこの頃。

このドキュメンタリー映画は2012年から5年間に渡り密着取材によって実現。

最初のシーンは大震災後2012年に坂本氏が福島を訪ねて大津波で水中に飲み込まれた音の狂ったピアノの鍵盤を叩いて音を聞くところから始まった。

『この調律から外れた音はテクノロジーに頼る現代人の営みが自然環境を蝕み、人間の息場所をも奪ってしまうことへの悲しみと憤りの象徴』…とは彼と監督の共通の思いのようだ。

2014年3月11日、彼が放射能防護服を着て禁止区域を訪ねるシーン、被災地で行われたコンサートのシーン、首相官邸前で原発再稼働反対を訴えるデモに参加して彼がマイクを握るシーンが続いた時、あと数日で 3・11 の8回目の記念日を迎えることをボクは強烈に思い起こした。

この映画を今、ここローザンヌでやるっていうことには、こういった思いの狙いがあったのだろうか??と不思議に思った。(日本では2017年11月に公開)

 

ボクのこれまでの人生で有名人との接点はほとんど全く無い…と言いたいところであるが、唯一例外はなんとこの『坂本龍一』氏なのである。というのも昔、小学館発行の写真雑誌『写楽』というのがあって、このコンクール『写楽賞』に自写像作品で応募したところが『坂本龍一賞』を1984年に受賞したのだ。授賞式の日に坂本龍一、篠山紀信(写真家)、中上健次(作家)、長友啓典(アートディレクター)等の面々が集ってくれた。

当時坂本龍一氏はこの前年1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』で押しも押されもしない有名人で、ここに集った有名人の中でも『坂本龍一賞』が一番重い賞とされていた。実はボクと坂本龍一氏は同じ1952年生まれの辰年で彼はそれを名前に付けたわけであるが、ボクの名は伸治朗というが、親父は最初『辰ジロウ』と考えていたのだが、親の自分が『虎年』なので龍と虎では仲違いする…というわけで本来『辰』のところを『伸』とした…といういきさつがあったらしい。

ということで、ボクの方では同年齢の坂本龍一を少しくライバル視していたようなのだ。

もちろん全く問題にもならないボクの存在ではあったが、気概だけは『坂本龍一がなんぼのもんじゃい・・・』と内心思っていたのは事実。しかし、この受賞日の前日までボクは友人が主催した一週間の『断食』を初めてやり終えたばかりであったので、頬も痩せこけて精気のない顔をしていたと思うが、篠山紀信がボクとボクの自写像作品を見て『あなたはジャンキーですか?』と言われたことと、作家の中上健次氏から『あなたは小説をかけますよ…』と言われたことだけを覚えていて、坂本龍一氏とは何を話したか全く覚えていない。

そういった事があったので、3・11の後、坂本龍一氏が反原発運動に参加してスピーチする姿などを見るとまたひときわ嬉しかったりしたものだ。

今、互いの年齢も六十も半ばに至り彼の人間としての深まりを見ることは、なんか遠い友人の成長ぶりを見るようでこれまた独特な嬉しさがあるようだ。

映画の中で

人間が作り出した工業製品であるピアノの音は、どんなに弾いてもやがてノイズの中へと消えていくというテクストの中での発言で『持続する音への憧れ、ある種の永遠性への憧れかもしれない…』という一貫して音を探求していく彼の姿が非常に印象に残る。

と同時に、道は全く違ったが『龍』の彼の憧れである『音』というものに『辰』であるボクは禅を通して『観音』という永遠の『音』に行き着いたのは面白い。

タイトルの『最終楽章』というのは松尾芭蕉のような俳人の辞世の句を意味するのであろうか?

60歳も過ぎれば、本当にいつ死んでもおかしくない…という意味では『自分が詠む句はすべて辞世である…』とは、芭蕉の言葉であったらしいが、芭蕉の辞世の句は

     『 旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる 』 芭蕉