拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

トンボと懺悔

昨日、久々に高台にある『蓮池』散歩コースへ。

去年見た蓮池のワイルドぶりからすっかり、スッキリ何もかも切り取られて、人工のコンクリートで固められた広めの2レーンコース50mプールの様相をしていた。

もちろん、穏やかな水面下にはしっかり根を張っている睡蓮の根が複雑に絡み合って夏にはカエルや金魚が迷い隠れこむジャングルが形成することを静かに企んでいる魂胆が水面が映す景色を透き通してミエミエだったのがおかしい。

その人工池の山側斜面に、切り倒した木から彫り出したばかりの人間大のトンボが無造作に置いてあった。いかにも子供たちを引き寄せるかのように…

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      案の定、我が永遠の『童ニコル』がトンボになった図

このトンボって…今の子供たちが見てどう思うのだろうか?

これじゃまるで怪物のような気もするが、数少ない、見ることがあまりない現代では逆にこれくらいの方が親しみを持つことが出来るのかもしれない。

トンボというと、我が故郷と幼い頃の自分の思い出に直結するが、それは懐かしい思い出でもあり、今思うと実に野生(ワイルド)故に無慈悲だった自分を悔いることに直結することを改めて思い出させられる。

今思うと、本当に信じられないくらいの数のトンボが、我が家の裏の小さな丘状の畑に舞い飛んでいた。空を埋め尽くす…という表現が大袈裟でないくらいのトンボの数…

だから、畑の柵の上にはトンボが鈴なりに止まっていたが、幼いボクはそれを平気で木刀で叩き殺していた。ときにはトンボを何匹か丸めて猫に食わせていた…ような気もする。近所のガキ共と一緒にそんな所業をしていたが、大人がそばにいたわけではないので、或いはいたとしても誰か『殺すな!』と注意した大人がはたしていたかどうか??疑問ではあるが。。。その当時はキャベツなどに取り付く蝶々の幼虫の毛虫などがキャベツを食い荒らしていたから、そういう意味で僕等ガキ共は天敵としての役目を果たしていたのか?どうか?やたら沢山いたトンボはなにか人間に被害をあたえていたのだろうか??そういえば、蠅は実に沢山いた。幼い頃の記憶として、茶碗によそった白御飯に蝿がたかって黒くなった場面がたしかにある。

便所は当然、肥溜め式で夏にはウジ虫が無数にいた。それを隣の畑をやっている小菅さんのおばさんが裏の畑に肥料として撒くので『ちょうだい…』といって専用の桶に汲んでは裏の畑に撒いていたっけ…。今考えるとなんと野生(ワイルド)な!!!

まぁ、そういった環境であったからトンボを含めた虫を殺すことにはなんのためらいもなかったのかもしれない。

しかし、ボクが小学生何年生であったろうか、はっきり覚えてないが、できればより幼い時であったことを願うが…ある時、ボクはパチンコというゴムで出来た石ころを玉に飛ばすことが出来る飛び道具ですぐ近くにいた雀を打ち殺したことがあった。こんな近くから打てば雀は死んでしまうと、わかっていたが、自分の好奇心を止める事が出来ずにボクは打ってしまった。その雀はボクの手のひらの中で震えながら死んでいった。

ボクはそのことをもの凄く後悔した。悲しく思った…。以来ボクは無益な殺生をやめた。

世の大人たちは、皆同じような経験をして『慈悲心』を身につけるのだろうか?或いは親や周りの大人達に教えられて身につけるのだろうか???

『懺悔』という言葉は、ボクはキリスト教徒が行う行為と思い込んでいたが、言葉自体は元来仏教用語だそうだ。神仏や他人に許しを乞う行為を懺悔という。