拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

我が師の誕生日

二日前、20年ほど使い古してきた居間兼ニコルの部屋のカーペットを買い替えた際、本棚も一旦移動しなければならないというので、少し本やら書類の整理をする…とニコルが言い出し、ボク関係の本や書類を大きな紙袋3個を整理するように言い渡された。

今朝、それを整理しようと見ると、ガイド時代にスクラップしていたスイスに関する新聞記事などに混じって、1995〜6年発行された無為塾通信『風』という小冊子が4冊を見つけた。これは鍼灸学校に通っていた頃、個人的に師事していた鍼灸師・横田観風先生が主催する無為塾が発行していた冊子だ。最初に手にしたのはNo.47で1995年発行であるからボクはすでにスイス在住していた頃に日本から送ってもらったものであった。

懐かしさに手に取ると、最初のページにボクと同級生で一緒に塾生になった親友の村尾さんの巻頭言には、先生と我々が出会うことになった1981年の東鍼祭(東洋鍼灸専門学校)の治療講演にお招きしたいきさつが書いてあった。

そして先生が書いた『観風雑話』には(癒やしの場)という題で記事が寄せられていた。

もともと先生は鍼灸師になる前は大学で『理論物理学』を研究していたので、ある性質を持った空間(これを場と呼ぶ)など、素粒子が云々…の話から千利休の茶室が仏法得道の『場』であって、『仏国土実現のための求道の『場』であり、茶の湯から茶の道への転換こそ、単なる医療から、道としての癒しへの転換のよいモデル』…であるとして鍼灸師としての癒しを『道』に転換することを力強く提唱していた。

『私の治療室は六畳の広さであり、日々その中に更に50cm四方の小さな座布団に坐して治療をしている。20年以上前から治療を始め、この後何年治療ができるか知らぬが、とにかく人生のほとんどすべての時間を、このちっぽけな場に坐り続ける…(略)

私にとってこのちっぽけな場は、そのまま天地一杯の世界であり、私の人生を意義あらしめる大切な場であり、同時に道としての癒しの実践の場であるから全く他の場も求める必要がない。…(略)たとえ一生このちっぽけな場に坐り続けることになろうとも、何ぞ悔いる所があろうか。

癒しに携わる者は、癒しの場に坐すことの意義を真剣に考えてみるべきである。』…

これを読んだ時、師を誇りに思うと同時に自分がようやっとたどり着いた『場』というものに、当時50歳だった我が師はとっくに到達していたのか…と、自分の未熟さもさることながら、師のそういった気概を見破ることが出来なかった自分に可笑しくなった。

その時、携帯のフェイスブックの通信音が鳴って、見てみると我が師の75回目の誕生日であるとの通知であった。こんな偶然ってそうあるものではない、よな??

師はフェイスブックをやるような人ではないが、昨年だったかいつだったか、師から友達リクエストというのが突然あって、何かの間違いだろうとは思いながらも『承認』のボタンを押しておいたので、今回4月3日が師の誕生日通知があったのだ。

当時ボクは先生の助手として先生のそばで鍼灸治療を何度か見せて頂いていたが、その深淵な『鍼の道』は、すでに30歳を越えた自分のような怠け者で、いまだに写真に後ろ髪を引かれている自分が歩んで行けるほど甘い世界でない…と思い始めていたのであった。

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若き日の観風先生、 誕生日おめでとうございます。御無沙汰しております。伸治朗