拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

アイデンティティ

ブラックホールが視覚化、そして昨日パリのノートルダム大聖堂の延焼・・・

人間の営みには意識、無意識、自己の心の落ち着き先を探し求める行為というのが主体にある…というのが最近の一撮の思いで、それから外れれば外れるほど幸福から外れるのではないかと思っている。

唐突なことを言うようだが、そういうことが話題にならない世こそ問題なのだ。

最近は昔ほど『アイデンティティ』という言葉が使われていない気がする。

時代(或いは支配者)がそういった疑問を持つことを許さない…のだろうか。

しかし、人間である限りその『疑』から心をそらすことは不可能で、肯定するにせよ否定するにせよ様々な形で各人の人生を描き出すものであると思う。

ボクはこれまで、宗教ということを真剣に考えたことがなかったが、

釈迦の『悟り』は『里裡(さとり』であって、誰もが生まれた里への回帰なのではないかと考え至ったとき、宗教というものの役割が『人間にとっての』アイデンティティへのいざないなのではないかと思うようになった。

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  どのくらい以前か忘れたが、昔ブログにアップした写真と短歌(一撮幼少時)