拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

写真の神様 H・C・B 夫妻と一撮

名もなき写真家、必撮無眼流開祖・一撮にとって秘蔵と呼べる唯一の写真を初公開すべきタイミングが来たようだ。

いつの日か…とは思っていたが、ブログという形で公開する日が来るとは…

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時は1978年、一撮26歳の時、まだ芦屋芸術学院に写真科助手として勤めていたか、或いはやめてフリーのときであったか?その点よく覚えていないが、PPS通信社という世界的に有名な写真家の写真版権を取り扱う会社の大阪支社でアルバイトしていたときに

PPS通信社主催の『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真展』が行われ、そのオープニングに気前のいい社長さん(写真左端)が招いてくれた時に撮った写真。

カルティエ=ブレッソン夫妻のちょうど間に黒子になりきって微笑む一撮であった。

当時は英語すらできなかったし、かりに出来ても写真の神様に声を掛ける勇気は持ち合わせていなかった。写真を始めたばかりの頃、カルティエ=ブレッソンと、ロバート・フランクがボクにとって偉大な写真家であったから、カルティエ=ブレッソンのそばに寄れたというだけでうれしかったのだ。しかし、彼の作風には影響を受けたと思うが、真似をしようとは全く思わなかった。ブレッソンといえば、カメラは高価なライカであったが、ボクは当時安く、小型のペンタックスSPが気に入っていた。

『決定的瞬間』はブレッソンの写真を語る時、必ず出る言葉であって、風景の中で動く人物の切り取りは抜群であったが、ボクが最も彼を高く評価するのは静止するポートレイトにおける人の心の表出だった。あくまで自然光を利用した内面の表出の美しさ、強さに本当に写真のあり方というものを学んだと思う。

んで、なんでこのタイミングでこの『秘蔵写真』を公開する気になったかというと

最近、週一で5回のフランス語を学ぶコースをとったが、その最後の日に先生が最近のローザンヌでのTVニュースのビデオを見せてくれ、それが今現在、地元で行われているエリゼ写真美術館での『Martine Franc』展の案内であった。写真は1960〜90年代のモノクロ写真で大変いきいきした素晴らしい写真であった。この聞き慣れない写真家『マルティン・フランク』は誰なのだろう???と先生の解説も熱心に聞いているとボクは『エエッ!!』と激しく驚いたのだ。というのは、このMartine Franc こそアンリ・カルティエ=ブレッソンの奥様だというのだ。自分ではこの年代の写真家で知らない写真家は一人もいない!と勝手に自信を持っていたので、この写真家の存在を全く知らなかった事と、彼女が尊敬するブレッソンの奥様であったことも知らなかった事、さらにもう一つ、いま現在の我がエリゼ写真美術館の館長がこのマルティン・フランク女史の姪

Tatyana Franck(35歳)で2015年より館長になっている…ことなど知らなかった!のだ。

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Martine とブレッソンは彼女が32歳、彼が62歳のときの結婚で、すでにブレッソンは世界的名声を得て写真の巨匠と言われているときに彼女は結婚したわけで、写真家としてもブレッソンに大きな影響をうけていることは、写真展を見ればわかった。

ただ、出逢っていなければ或いはもっと彼女の個性を活かした作品が撮れたのではないかと…写真展をみながら思ったことも事実だ。いずれにせよ、偉大な写真家との生活は彼女自身の写真家としての活動に快い事ばかりではなかったであろう。

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   彼女の写真展が京都に来ていたんだ!