拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

『マスク』が意味するもの

コロナ感染がここスイスでも少しず広がっている。

店内、公共の乗り物、屋外でも大勢が集まる場所…などではマスク着用が義務付けられて、マスク姿がここヨーロッパでも日常の風景になってしまった。

今年の3月以前にはヨーロッパ人の『マスク着用』など考えられないことであったのに・・・

しかし、この想定外の出来事を不安に指をくわえて怯えるばかりでなく、禅者としての一句が日の昇る国あたりから聞こえてきてもいい頃だと思うのだが、一向に聞こえてこない。

で、馬骨に言わせることにした。

 

馬骨曰く、『 世界中の人間がマスク着用・・・これは世界中の人間に禅の公案、つまり禅問答の問題を投げかけられた・・・に他ならない!!!

これは世界規模(禅問のグローバル化)の禅問答なんだよ!』

 

以前このブログにコロナ騒動で2ヶ月近く自宅自粛があった時ボクは『万事休す』という言葉を使ったけど、文字通り『万事休す』こそ『脚下照顧』であり『マスクの意味』なのだと思う。

『マスク』はお喋りな『口を閉ざす』象徴で、その『一黙』は『深い呼吸』でなければならず、その呼吸がのぼせた人々の『頭を冷やす』最良の方法であることを人は知る時期なのだ。

    『維摩の一黙』ならぬ 『馬骨のフルフェイス•マスク2020』

『馬骨』の名前で出ています

「東洋思想」の勉強会

 

日時 : 9月26日(土)14:00より
場所: Maison des Associations,  15 rue des Savoises 1205 Genève  (Plainpalais地区、

                                                                              バス1番、トラム15番Cirque下車)

 参加費: CTJ会員は無料、非会員は受講料10CHFをいただきます。
申込み: 氏名、当日連絡可能な電話番号を明記の上、                                                             メールにて、           ctj_geneve@hotmail.com  までお申し込みください。         

多くの皆様のご参加をお待ちしております。             


 AIの進出、雇用不安、貧富格差、天変地異激動混迷の時代に生きる為に必要な『場』をどうすればつくれるのか? ・・・この問に対して答えを持つのは東洋の『悟り』

 

 日本人よ 『考えるな、漢字ろ!』

東洋思想の究極は『悟り』…と禅者である私は考えているが、それを従来のように難しい仏教用語で説明するのではなく、私達が日常使っている『漢字』には『悟り』が織り込まれているのを紹介

 

                 『例』 自分〜 自分の分であると、他者との違いを主張する自己 

                     自分〜 自ずと分かれ、自ずと分かる…分かれて初めて分かる自己

              
 指摘されて初めて、気づく漢字の解読・・・漢字『東洋思想を解読する方程式』である

 


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講師  : 森 馬骨 居士 


プロフィール
海外移住の決意(27歳)にともない、日本人としてのアイデンティティの探求が始まり

30代は東洋思想の真っ只中で過ごした。
禅宗はまたの名を達磨宗と言って口をきつく結ぶものと教えられて『一黙の30年』、そろそろ何か語ろうと思うが、当方は禅僧でもなく、仏教学者でもなく、一般の仏教徒である居士(こじ)という立場で禅を語るものであるので居士名を『馬骨』とした。

 

略歴: 1952年 北海道生まれ / 1991年よりローザンヌ在住

    1981年 鍼灸師 横田観風先生

    1988〜1991年 練功十八法・武田幸子先生/太極拳・村瀬大翼先生・李徳芳先生

    1981〜1991年 北鎌倉・円覚寺足立慈雲老師

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来週の土曜日9月26日14:00より、馬骨の名前で東洋思想を語ります。

ジュネーブ近郊にお住まいの方、日本語で話します是非いらしてください。

 

『命の選別』発言こそ魔性の選別

大西氏は7月3日の動画で以下の発言をした。

「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」

「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」

「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」

「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

「僕はそういう政治家になると思いますよ、けっこう冷徹に判断していく。それを考えることを要求すると思います。情緒とか感情ではなくて、気持ちははかりますけど、気持ちだけで全部解決するわけではないので」

「戦争が長引いたのも、そんなんで合理的判断が出来なかったからじゃないでしょうか…」

 

今朝、改めて7月3日に配信された大西つねき氏の動画を見た。 

この人は自分の言っていることが、解っているのだろうか?・・・

「高齢者を長生きさせるかっていうのは・・・(中略)若者たちの時間の使い方の問題」であると言っているんですが、それってどういう意味?若者の時間を犠牲にすることになるからダメだと言いたいのだろうか?それで弱者を殺して自分が幸福になれるの?それでなくとも今現在すでに一部の富裕層に忖度した政治経済が推し進められていて、貧しい老人だけでなく、中年だって若者だって世知がない世の中に絶望して自殺に追い込まれたり、自殺でなくても苦しい生活に追いやられてホームレスになっている人々が今現在いる現状を考えた時、「若者たちの時間の使い方の問題」だなんてセリフが正常な神経の持ち主であれば言えるはずがない。

 そして思ったのは、大西発言に関してれいわ新選組が臨時総会を行った夜の記者会見での舩後議員の発言(以下)だった。

 「大西氏は『障害者やその他の社会的弱者を対象にしたものではない』との趣旨のことをおっしゃっています。しかし、そこで一度、大西氏の言うように、順番として、高齢の方からという線引きを許してしまえば、その対象はあらゆるところに広がっていきます。

 最初は高齢者、次は障害者、難病患者、稼げない人。私は進行性の難病があり、人工呼吸器を使わなければ、寿命が尽きています。大西氏の表現する順番どおりで言えば、すでに 線引きの対象にされていたでしょう。

 当初、当事者の声を聞く機会を設けるということで、大西氏がご自身の発言の問題に向き合っていただくことを期待しました。しかし、私も会の一部を見ましたが、その時大西氏の発言からはおごりを感じました。氏の経歴を見ても、氏自身がおごらないのは難しいと感じます。

 おごるとは、相手に対し、自分の方が上だと思う心がある、自分に執着することからくる慢心がある、間違ったことを言っても正しいと言い張る我心、つまり自我に囚われた心がある、の3つです、そのような人物は政治家に向かない」・・・・・・・・・

到底容認できるものではない・・・とした、舩後議員の歯に衣着せぬ発言には、ボクは全く同感であるが、以外にも反応がほとんど無く、一方のれいわ新選組の木村議員に対しては『感情的』である旨、多大な批判があり、自ら発言することの出来ない舩後議員の発言に対しては、その発言が軽いと見ているのかほとんど無視されたかっこうだ。

 

大西つねき氏の『命の選別』発言で、最終的に徹頭徹尾バッシングされたのは『れいわ新選組』の代表、山本太郎だった。大西氏の発言こそ二重の意味で『悪魔性』を含んでいた。

一つは彼自身の心の奥に巣食っている魔性の発露であり、二つ目はそのことで正論を訴える山本太郎へのバッシングがそれまで支持者であった者達から沸き上がったことだ。

その点に、ボクは大変な不条理を覚え、その愚かしさに恐ろしさを覚えるのだ。

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   この夏が暑いのに寒々しい思いがするのはその『不条理』のせい・・・  

 

 

『一黙の年』2020

これまで生きてきて、これほど奇妙な夏はなかったような・・・

ボク一人だけではなくて、世界中の人間がマスクをする『一黙』の時代を迎え、時間の観念が薄れてくる。

本来深い呼吸のための『一黙』のチャンスも、慣れないマスクで人々の呼吸は逆に浅くなり、眼部しか観えない顔に人々は苛立ち始め不安を覚える。

『諸行無常』の真っ最中なのだ。 いまこそ仏教を勉強しよう!

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命の選別−2

ム〜、俺はどんだけ頭が悪いのだろうか。

今頃になってあの『発言』の意味と重み…がようやっとわかってきた気がする。

世のお偉いさん、がよく言う『自分の頭で考えろ』・・・というのを多分、自分なりにオートマチックにやっていたら、今頃『これが俺の見解だ〜』というものがコロッと出てきたのだ。

しかも、今思い起こせば『あの発言』直後に1993年公開されたスピルバーグ監督映画『シンドラーのリスト』を偶然なのか?どうか自分でもわからないが再見して、涙をながしていたというのに・・・。

ただ思うに、自分の頭の奥の奥のづ〜っと奥の方ではこの『発言』を『最重要事項問題』…として取り上げ、全脳力をあげて検討していたみたいなのだ。

例の『大西氏、命の選別』発言は都知事選直前にあり、れいわ新選組代表、山本太郎立候補大敗の直後に大問題となって、最終的に問題視の矛先は『れいわ新選組』山本太郎代表の『ずさんな組織把握』…あたりに落ち着いて、今に至っている。

そして肝心な『命の選別』発言をした大西氏に対しては『党の除籍』処分に同情する『ツネキ』フアンが『れいわ新選組』や事態を重く見て最初に問題視して発信した『大石あきこ氏』に対するやかましいネット口撃に続いて『れいわ新選組支持者やめる宣言』に至って事態は一見落着の様相を見せ始めた。

・・・でもボクの気持ちはちっとも『落着』はしていなかった。

『老人の命』と『若者の時間』を『冷徹に』天秤にかける人間の存在とそれを支持する人がたくさんいる…事態って、一体ナンナのよ??・・・と、その問題の大きさに今頃戦慄する自分の頭の悪さに『大いに戦慄』したのだ。

そして『その発言』がほんの一部の良識の府によってなされただけで、『放免』され『いや〜大西氏は未来の政界にはなくてはならない人物…』なんて脳天気な発言をしている人の多い事を知る時、ボクは『シンドラーのリスト』の逆バージョン『選別リスト』を見るのだ。

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  安倍政権下での精神疲弊は日本人のネオナチ化を招いている・・・のだ。

今こそ『山本太郎』原点へ!


山本太郎『核心に迫る国会質疑』TOP5

 

7月になって『れいわ新選組』は、都知事選での大敗と自党のホープと見なされていた大西つねき発言での痛手で支持者の分断が起こる中、ある方が『れいわ新選組』の原点である山本太郎が参議院議員であった時の国会質疑を短い動画にしてアップしてくれた。

揺るぎない『れいわ新選組』支持者と思われたユーチューバーの何人かも『大西つねき』支持を宣言して『れいわ新選組』から立ち去った人々を私は見ながら、『れいわ新選組』まで至った原点に立ち返る必要があるのではないか…と思っていた矢先にこの動画がアップされた。

この動画の山本太郎を見ると、彼こそ日本の国会に絶対欠かすことが出来ない人物であることを再認識することが出来る。

もちろん、どんなに優れた国会議員でも『一匹狼』では直接国を動かすことは出来ないが、山本太郎の言動には人々の心を『奮い立たせる力』に絶大なものがあって、それが山をも動かす先陣の力となり、後に賛同する人々がついてきた時には大きなうねりを起こす…可能性もある。そしてそこにこそ山本太郎という人物が私達に示す『希望』があり、それこそがいま存在している『れいわ新選組』の原点であることを、私達は改めて確認する必要があるように思える。

メガネ−68・スマホ−65

先日、ローザンヌから電車で2時間半のバーゼルへ一泊旅行したときのこと。

出発の日の朝、ローザンヌ駅から電車に乗り込んでいざ席に着かんとする瞬間、ボクは普段メガネに紐をつけて胸辺りにぶら下げいるが、そのメガネが見当たらず、さっき駅のスーパーでパンを買った時カバンから財布を出す際に、メガネを落としてしまった…のかな??と思い込み、電車が発車する前に下車しなくては・・・と焦って相方を促して電車を下車した。

700フラン(約7万円)もするメガネのためには、下車してスーパーにメガネを探しに行くのもやもうえない、とホームで落胆のため息をすると、相方いわく『アナタ、メガネしているじゃないの…』と一言。。。へ〜っ!!と思い、自分の眼のあたりに手をやるとメガネはボクはボクの顔面におさまっていたのだ。『わかっていたら、なんで早くそれを言わないんだ!』と、相方に文句を言いつつ再び乗車して同じ席に着いた。

ボクの腹立は収まらず、再びなんで『ボクがメガネをしていることを下車する前にすぐ言わなかった』と問い詰めると、相方は『言ったわよ…、だけど他のメガネのことだと思て・・・』

この風景って老夫婦には、これからはしょっちゅう『あるある』の風景になるんだろうなぁ…

この一泊旅行はいつものように、相方が計画、ホテルも予約。

ボクは相方に全部お任せ・・・をいつも希望しているのだが。

いざ、バーゼルに着き、駅からバスでホテル近くのバス停で下車した。相方がスマホで調べたところによると、バス停からすぐそばである…という。方向オンチの相方が今回初めて使うスマホのグーグルマップによると、まさにバスを降りた地点に赤丸の印があるではないか。

しかし、どう見たってホテルらしき建物が見当たらない、ウロウロ行ったり来たりしていたら、前方から母娘の二人連れが来たので尋ねることにした。彼女等によるとこの地点から500メートル先になるという。それでそちらに向かおうとすると、当然グーグルマップの示す地点から遠ざかるわけだが、相方はそれにこだわり、『それはおかしい…』と相方が言い出した。

ボクは腹が立ってきて、『もう一度住所を調べなさい!』

相方がもう一度調べたところ、番地は『1』ではなく、『51』番地であった・・・嗚呼!!

これからの人生にはこういう『勘違い』がよくあるある、のだねの巻。

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勘違い…といえば、この写真のボクはなんだか異常に小さい人に見える気がするのだが。

植物がやたら大きいせいだろうか?いや、アンタは自分で思っているよりチッポケなだけ。

バーゼルの美しい住宅街、空にはイワツバメがビュンビュン飛び交っていた・・・