拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

禅の別名<清貧の思想>

 気がつけば春になっていた、感がなきにしもあらず。
 この暮れからボクには珍しく病気三昧で、病気の時というのは周りのことになかなか気がいかないものだとつくづく思わせられた。
 ボクの体調も良くなり、春を迎えた喜びをかみしめながら駅から20分ぐらいの坂道をてくてく登って帰宅すると、ニコルが春風邪をひいて体調を崩していた。・・・2010年を<疫病の年>と認定!!!

 帰りの電車の中で、素晴らしかった<ブリューゲルへの旅>が一応終り、同じ著者の<清貧の思想>に即、乗り換える。

 この本も何年か前に読んだのだが、今回ほど中野さんに対してテンションが上がっていなかったから、かなり期待できる。清貧の思想は以前話題にした、<花鳥風月>に通じるものである、というかむしろその原点になっている思想だと思う。中野さんがそれをどんな風に展開してくれるのか大いに楽しみだ。

 貧しい・・・というだけなら、間違いなくボクは貧しい家に生まれ育ったと言い切ることが出来る。ただ元気のいい子供だったから?貧しさをほとんど認識しなかった。というか金持ちがどんなものか知らなかったのかもしれない。

 しかし、この清貧となるとまた次元がぜんぜん違うようだ。本当の貧乏人は人間が卑しくなってしまう嫌いがある。それはボク自身を顧みれば、悲しき歴然。むしろ育ちのいいお坊ちゃまみたいな奴の方が覚悟が決まればスッと行けそうな気もする。

 ボクはボク自身を反省するとき、この育ちのせいか<卑しさ>がつい出てしまうのだが、普段ボクはそれを受け入れている。何故ならそれがボクだから・・・である。そしてその<卑しさ>の為に、ほんの少し悩むことも受け入れる。

 そんなボクだから<清貧の思想>を生きるのは難しいとは思うのだが、でも確かにこの辺に憧れている自分を見る。