無上深甚微妙の法は
他の人のブログを見ても 何を書いていいのか? 分からない“茫然自若”状態に 陥っている人が多いようだ。
ボクもそうだ しかも いつもよりだるい 春という季節 そして やたら忙しい仕事 日本のこと 頭が 働かない
しかし何時までも こうしてばかりいられない
こういうときこそ それをバネにして いかなければ。 会い難い仏法に 出会うチャンスかも
寺で修行をしていた時 意味が分からないなりに 「確かに・・・」と思いながら 唱えていた このお経
いつも最初に 読む お経 「開経偈」
「 無上深甚微妙の法は 百千万劫にも 遭いおうこと難し。
我れ 今 見聞し 受持することを得たり。
願わくは 如来の真実義を 解したてまつらん。」
人は 何か重要なことが 自分の身に起こらないと 自己を変革する ことはなかなか 無い。
それ故に 微妙の法に 出会うこと が難しい・・・ ということはいえる。
人ごとではなく 自分が 無一物に なったとき どう 生きるのか? ということか。
前にも書いたが 文明の「第三の波」は 大自然の 大津波に よって 「喝っ!」を 入れられたのか?