拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

 カメラという道具

 写真学校で助手をしていた頃の話で
 デザイン科の若い女の子に頼んで野外で写真を撮らせてもらった時のこと、多分フイルム2,3本とったころ
 写真を撮っている最中に彼女が泣いた…というか、涙を流したのだ。
 不思議に思ったけど、ボクも彼女もその涙の理由はわからなかったと思う。
 そして、なんとなくその理由を知る必要もないように思えたものだ・・・。

 人の意識と意識が触れ合うとき、感動が起きた…のだろうと、単純なボクは思ったが

 あれから何十年もたった今
 ボクはまた量子論の『コペンハーゲン解釈』〜人間の意識の働き(観察)の有無によって、観察される電子の性質が変わる…という
 ボクにはチンプンカンプンであり、同時に『やっぱりね〜』と思われる科学的にいまだ解明されない高次の現象に思いがいたるのだ。

 カメラはそういった意味ではまさに、天が人に与えた素晴らしい『観察道具』だ。
 ボクの意識をレンズを通して被写体に念射し、それに反応する被写体の意識を念写する精密機器なのだと思う。

 

    そう、もっと寄ってよく見るんだよ…の図(オリンピック博物館の庭)