拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

<論語>から<死体証拠>へ

通勤電車内で論語を読む!と豪語したが、なんか少しギブアップしそう。この本を開くと眠くなるのだ。子曰・・・

 それが、パトリシア・コーンウエルの<証拠死体>だと、眼がさえるのはどうしてだろう。彼女の第二作目だそうだが、非常に良く書けている。数年前にもハマっちゃって何冊か読んだけれど、今回ほど感心しなかったのは、第一作から読まなかったためだろうか。・・・・(実は、第一作もまだよんでいない。)

 問題は何故<論語>だと眠くなって、<小説>だとねむくならないのか?ということだ。小説は例えば主人公の人生時間を圧縮して見せてくれる、時間がじつにダイナミックに流れていくので、その先へ、先へと知りたくなるつて脳も活性するためだろうか。朝の通勤時は外は真っ暗、帰りの時は少し明るかったのだが、仕事で疲れたためかコックリコックリ

 ところで、2年ほど前から西瑞では無料新聞<20min>=20分という新聞が駅とかバス停などに置いてあるので、殆どの人が電車の中でそれを読んでいる。その前日のトップニュース、地方のニュース、あとはスポーツ、映画、有名人のゴシップと軽い読み物であるが、ボクのフランス語上達の助けに少しは役に立っていると思う。この新聞がでたせいか、本来の新聞記者のリストラに拍車がかかってしまったが。