拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

観音はまず音を観ずる

 観音様の話を続けたい。

 高校の時、北海道から修学旅行で京都、奈良へ行って有名なお寺をめぐった時も、写真を始めるようになって仏像を見る機会があっても仏像になんの興味、関心も持たなかったのが、坐禅をするようになって初めて仏像の良さがわかるようになったというか、悟りを彫刻したら仏像になりました・・・みたいなところを鑑賞することが出来るようになった。

 一方で仏教は維摩居士のように、悟りすました菩薩達をけちょんけちょんにやり込め、寒山拾得のごとく地に足の着いた人間像を標榜しながらも芸術性の高い仏像を沢山残してくれた事は我々迷える東洋の子羊にとってどれだけ有難いことか。

 今回このジュネーブでの展示のために仏教そして観音についての説明がパンフレットにあるが、タイトルの<kannon>というのが、観音で<観る>・・という字と<音>という字の組み合わせであることを説明していないのは、大いに残念であった。