拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

通過儀礼−1

 少し気になっている言葉に、<通過儀礼>がある。

 ボクにもこれまでの人生でいくつかこういうものがあったのだろう・・・例えば、小学校の入学式とかいうたぐいの儀式。でも高校を卒業してからは、とんとそうゆう儀式的な通過儀礼と呼べるものは無かったように思う。

 しかし、今自分の人生を振り返ってみたとき、社会的なものではなく、もっと違う非常に個人的な魂の問題というようなレベルの話であれば、幼い魂が一人前の魂に到達するための幾つもの通過儀礼があったのではないだろうかと、最近ふと思ったりしたのだ。魂が一人前になるなために、通り抜けなければならない関門、そういったものをボクは通過儀礼と今考えている。一番最初にそんなことを考えたのは、実はだいぶむかしで、高校生の頃ボクはしばしば金縛りというものを何度か体験して、それを克服する方法を自分であみだしたとき、こういうのを<青春の門>というのではないかと当時考えたりしていたのを覚えている。

 26歳ぐらいの時、英会話学校の寮生活をしていた時に、一人の寮生の女性に手相占いをしてもらい、ズバリとボクの生い立ちについて当たったので驚いたついでにボクの将来について占ってもらうと、悪いことばかり言われて、ひどくショックを受けたことがあった・・・この時もそれを発想の転換で克服することができたが、後でこれも何か次の段階に行くための試験のようものではなかったかと思うようになっていた。