拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

名著<ブリューゲルへの旅>の再読中

 先日予告したように、中野孝次さんの初期のエッセイ<ブリューゲルへの旅>を再読または再再読?し始めた。

何故か、今回は頭にスーッと入る。というか、前回(何時だったか憶えてないくらい前)はぜんぜん解ってなかったことがわかった。なぜだろう、頭がよくなっているのか?  本には読み込む角度というものがあるようだ。丁度いい角度から切り込まないと本の中に入れないタイミングというものがあるのだなあーと感心。

 西洋に漠然と憧れている人に、是非この本を読んでもらいたい。中野さんは40代の時はじめてあこがれのヨーロッパに渡り、その憧れに疑問を持ち始めた時、ウイーンでブリューゲルの絵と出会い、眼を覚まされた思いでこのエッセイを書いたようだ。物事の理解のレベルがかなり落ちるがボクは彼が西洋で感じたこと、ブリューゲルに惹かれた理由がよくわかる。

 いま、ちょうどこの本の真ん中でこれから、益々楽しみであるが、とにかく中野さんの鑑賞力が実に鋭いのと、ブリューゲルの絵そのものが、写真的であり、彼のテーマの立ち上げ方とアプローチの仕方と、それに対する中野さんの読みの深さはボク写楽斎の今後の写真活動に大いに参考になる。特にボクは今撮りためている西瑞の各種の祭り、カーニバルへのボクのアプローチにはブリューゲル法に通じるところがあるし、もう一つ、ここ3年ぐらい撮り貯めている<西瑞版・闘牛>はまさに酪農・農民のいわゆる西洋風の気取りの全くない赤裸々な人間活動へ焦点をあてているが、これなども彼と同じ視点を感じる。

 話は変わり、ボクの病状記・・・体中の湿疹はほとんど良くならず、予約を前倒しして今日、二回目の医者に行く。

医者は首をひねって、わからん・・・と一言。(そんな!) それで、ビョオプシをしなければならないという。何かと思ったら、皮膚の一部を切り取って調べること。又来週の金曜日に行かなければならない。兎に角、痒いのだ。