拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

ボクのもう一つの旅

 友の一人はまた、日本に帰るというし、別の友はタイを旅行してきたという。
 
 ボクもまた今、ブリューゲルの絵の世界を中野孝次と共に旅をしているところだ。
そしてこの旅は本当に充実していて、ボクの幾つもの謎とも思っていなかった謎に光を照らし、写真家として解答すべき問題の所在と捉え方を垣間見せてくれているようだ。

 <醜>の章で中野さん自身が、一体自分は10年前は何を見ていたんだろう!・・・ショックを受けるほど、それまで見落としていた見解を披露しているが、(同じようにボクは反省した、一体自分は10年前この本の何を読んでいたのだろうと!)・・・ そこまでいたるには、多分10年という歳月が必要だったのではないだろうか?

 その見解については、いまは書かないが、それよりも画家というものが、自分の作品にいて一切説明しないという不文律にボクは世の中の不思議と人間の尊厳を感じるのだが・・・。

 第一、芸術作品は感じるモノで、そこは<以心伝心>の真っ只中で、<不立文字>の世界であろう。であるのに、最近の芸術界は何かと芸術家本人の説明を求める風潮にボクはうんざりする。