拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

同室の面々

 さて、15,6才の頃、盲腸の手術で入院して以来の入院しかも外国(・・・と言ってもボクにとってそんなに外国ではなくなったようだが。)での体験談。を簡単に。

 ボクの部屋は4人部屋であったが、12日間いた内、最初の5日ほどで、おじいさん二人が退院。
 そこで一時的に残ったボクともう一人の男はスペイン人ですごくなまったフランス語なのでチョットわかりにくいのだが、スイス在住40年とか言っていたので10才頃にスイスに来たのではないかと思う。彼は長いこと土建関係の仕事をしていたのだが,腰を痛め以来生活保護を受けているという。恰幅がよく人のいい陽気なスペイン人でこれまたよく太ったスイス人の奥さんとの間に6人の子供がいて、上が23才したが4才,男が2人に,女の子が4人というこれまたラテン的。奥さんも毎日のように見舞いに来ていたが、とても仕事をしているような体型ではないので,働いていないとして生活保護だけで一家6人生活しているのかと,感心した。彼は片足の足首と膝の間が突然像の足のように腫れ上がって入院した。ボクが入院して最初の一泊目の時、となりで彼がその痛みでうーうーうなり、向かいのおじいさんはうなされて何か喚いたりしてボクは全然眠れなかった。
 次に入院してきたのはスイス人の退職したおじさんで石工会社の社長だった人で,八の字のヒゲを持っている。この人のフランス語は凄い田舎なまりでしかも声がバカでかい、この人の患部は喉の両側が腫れ上がったこと。この人が来た夜はこの人の物凄い音の咳の為,ボクは一睡もできなかった。息子は2人いて,一人は物理学者で大学教授だそうだ。

 次に入院してきたのは、若い黒人でボクサーのように頭部を隠して,ベッドの周りのカーテンでいつも隠し、ノートパソコンでアメリカのホームドラマのDVDを四六時中見ているので、最初はなんて陰気な奴が来たのだろう・・と思っていたが、後で彼の体調も良くなり,話をするとなかなかいい奴。驚いたのは国籍がフィリピンということで、なんか同じアジア人みたいな親近感がわき,いろいろ話を聞くと,8才の時両親とともに移住してきたという。どおりでフランス語がネイティブ発音なわけだ。最近スイス人の奥さんと離婚、生まれた赤ちゃんが未熟児で3日しか生きていなかった・・・ことがその原因らしい。結婚式の写真をPCでみせてくれたが、彼は別人の様に見えたのは後で話てくれたことでわかったのだが、当時は10キロ体重が多かったそうだ。まだ31歳頭もいいし、なにより陽気な真面目な男なようなので、やり直して幸せになって欲しい。