拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

掃いてるか?

 倉庫をホウキで掃いて掃除をしているとき、ボクはその姿勢のまま時間の制約から解放される。

28年前、鍼灸学校へ通っているとき、禅をやっている先生がいて、一緒にお茶をしているとき、おい、お前の部屋はちらかっているだろう!・・・と言われたが、なんのことだがわからなかったにもかかわらずそれは印象に残った。

 今から考えると確かに僕の部屋は散らかり放題であった。しかし、散らかってない、綺麗な状態というのがどうゆうものか知らないのだから、汚くても汚いと思わない環境になんの疑問も持たなかったのだ。

 禅修行の思い出の大半は結構掃除している自分であったかも知れない。それくらい坐っているとき以外は掃除ばかりしていたように思う。それがいかに大事であるか・・・後になってシミジミとその有り難みを噛みしめる。きれいにすることに喜びを感じ、すっきりと心を白紙にする行為。怠け者で無学の自分がよくぞ禅道場にフラフラとその門を叩いたのもじつに不思議でこれが仏縁という奴だろうか。この事が分かっただけでも修行をした甲斐があったといえる。

 心のなかも色々なことで散らかり放題、自分の城である部屋も埃だらけでなんとも思わない無神経。

 一見紳士、淑女風の人のトイレを借りて使った時、その状態にビックリさせられることがある。(学校で習わなかったのか?)

 そんな当たり前のことだが、どこでも教えていない不思議。勉強が出来ても、そうゆう環境になんにも思わない無神経な自分に気がつかない、気を付かせる指導者がいない不思議。(いるけど、門を叩く勇気がない)

 お前ら、掃いて、掃いて、掃きまくれ スッキリするまで 掃きまくれ ロックンロールだ掃除野郎!!