拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

恐ろしいほどの自由の中で

 今、<未来の衝撃>を鏡にして自分と世の中を映してみている。

 この本に,プロの親・・・子供を養育する専門家について述べている箇所があって、こう記されている<人間の子供を育てることとなると,その子どもが生物学的にその親から生まれたものであれば、その親の精神状態や道徳的資格を問いただすことなく,殆ど誰にでもやらせる始末である。・・・何百万という子を持つ親たちが,機会さい与えられれば、喜んで親としての責任を放棄するであろう。・・・気の狂いそうな生活の中で親として自信を失ったとき,親に経済的な余裕があり、また子供の養育をするプロの親がいれば,喜んでその専門家の手に託すだろう・・・。>

 このへんを読んでいるとき、フランスのある地方で46歳になる女性が自分の家の周りに8人の新生児を埋めたのが,発見されるという事件があり、また日本でも2人の幼児を母親がアパートに置き去りにして、亡くなった・・・という記事を読んだ。

 確かに誰でも子供を産めば親になれる。親として心の準備が出来ていないのに、子どもが出来てしまうこともよくある。ダイイチ、養育の専門家がいてもそれに頼れる経済的に余裕のある親が圧倒的に少ないから問題が起きるともいえる。

それと超産業化革命の記述のところで、<物品,教育,文化的消費,レクレーション、娯楽の面での選択の幅がすべて増えているちょうどその時に、社会的選択の幅も当惑するくらいに増えている。・・・・我々が直面しているものは、なかなか魅惑的ではあるが、同時に恐ろしいほど大きく与えられた自由なのである。>と記されているところで、それプラスなんの基準の持たない親が子供を放任すれば、その恐ろしいほどの自由は若者たちを<自殺>に追い込むのではないだろうか・・・と思考した。

 スイスに来た最初のころ、こんな豊かの国にもかかわらず自殺をする若者が結構多い,と聞いて豊かすぎるのも考えものだ・・・と思考したことを思いだしたが、そういう事も原因の一つであろうか。