拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

フリーター道(その2)雪印牛乳配達

 ボクが2番目にしたバイトは、牛乳配達。
 塚田さんという一見,普通の家なのに牛乳を何箱か仕入れて近所に配っているという小規模の店とも言えないところ。
 
 最初の新聞配達は多分3ヶ月ぐらいでやめていると思う。牛乳配達は中学一年から三年までやった。学校にいく前,朝6時頃?(今は記憶にない)。家から走って、15分ぐらいのところ塚田さんの家に行って,自転車の後ろに牛乳瓶が20本ぐらい入った木のケースを2段にして荷台に載せ,ハンドルの左右にヤクルト?みたいな小瓶を入れた記憶がある。

 最初は結構重いわりにボクが力がなかったのと、自転車を止める場所がアスファルトではなく土の上なので,柔らかい所に止めたりすると自転車が数秒後に倒れたりしたものだ。子供の頃は,というかガキの頃は辛いとか,眠たいとか、このバイトの事で不平を思いつかなかったほど<純>だったのか? やるのが当たり前のように思っていたので、冬の吹雪の日でも,雨の日でもなんとも思わなかった。中学2,3年の時、配達先のお客さんのひとり(奥さん)が<降っても、照っても,寒くても、つかれていても、朝早くから努力しているあなたの貴い姿を見て毎日かんしゃしております。・・・>という手紙をお年玉袋に書いて貰ったことがあった、思わぬ手紙にうれしくてこの手紙はボクの宝物の一つとして今でもとってある。
 気になるのは給料だが,今となっては全然思いだせない。たぶん、3千円か5千円ぐらいだと思う。しかし、このバイトのおかげでボクは体が丈夫になったし、人より早く起きて、配達しながらもいろいろ思考したり、期末テストにそなえて暗記したことを復習したり,何事かを学んでいたように思う。

 今日の夜、ニコルの両親の友達だが、我々の友達でもある、80歳のカップル、ムシュ・マダム、ソードン宅へ夕食に招かれて,今帰ったところ。ムッシュ・ソードンは退職する前は名の通った医者でいつもは無口だあるが、今日はよくおしゃべりした。マダムは今だにチャーミングな女性でニコルのお母さんの同級生。二人ともいわゆる80歳のおじいさん、おばあさんという感じは全然しない、彼らを20年前から知っているが,その頃から全然変わっていない感じがする。

 楽しいひと時をすごすことが出来た。