拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

般若考・摩訶般若波羅蜜多鏡

 前に<ビックリ娘>について書いた。

 ものすごい怖がりで、怖い映画はもちろん、本も読むことが出来ない娘がいる。
 そういえば、我が妻ニコルもおんなじだ。そういう人達に釈迦は教えを説いたのが仏教ではないか。

 仏教の目玉の一つは施無畏(恐れをとりさることを施す)で、それはイコール<安楽の法門>ということになる。

 ここのところが、最も大切なところだが、仏教は自らがあみ出した難解な言葉のゆえに、人々からかえりみられなくなってしまい、せっかくの般若の智慧もその働きの場を失っていることは、何としても残念だ。

 (たしかにインドそして中国に伝来した仏教は手を変え品を変え、あらゆる角度から吟味されるうちに膨大かつ難解な言葉に置き換えられる過程で、その非に気づいたインド人のダルマを祖とした中国人は<不立文字>を標榜する<禅>を考案し日本に伝えた。その日本の禅もほんの一握りの人々にしか伝わっていない。)

 仏の智慧を解説している言葉に<大円鏡智>というのがあり、これは最も仏教を分かりやすく説いた言葉であると思う。

 我々のこころは<鏡>のようである・・・と。人が感じうる、あらゆる心情はたとえ映しても、鏡自体(心)は一切の影響を受けない・・・。

 それを実感出来る人は素晴らしいと思う。例えできなくてもこの<大円鏡智>の教えは我々をして大いに勇気づける。

 仏像、菩薩像を見ると、手のひらをこちらに向けている・・・これが施無畏印で我々の<恐怖心>を取り去ってくれる。

 それはわれわれの心は本来、<大円鏡智>という仏の智慧で出来ているからだ。感情でのぼせた心を鎮めたとき、観える心。

 ボクはこの<鏡>をあらゆるビックリ娘にプレゼントする。この鏡で自分の顔を観てごらん、勇気しか出てこないから。