拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

八十歳の島

 島での1週間のバカンスは79,と80歳の義父母と過ごした。(彼等は毎年夏の3−4ヶ月間を島の小さな家で過ごす。) この間,彼らと同年齢の友人、長く患っていた友人が亡くなった。彼等にとってこの夏、3人目の友人,知人との別れを迎えたことになる。

 彼等の年齢になれば永遠の別れも特別なことではなくなっているだろう、が、彼等がそのことでぐちを言ったり、落ち込んでいるところを見たことがない、まわりの親しい人達が一人ひとりと星になっていくのはどんな気持ちだろうか。歳を取っていくのは,その事に覚悟を積んでいくことなのだろうか。

 彼等の島での隣家のカップルも主人は83歳、ボクが魔女と呼んでいる奥さんは75,6歳?でニコルは彼女が20歳の頃から知っている両親の友達。(今年,パリに行ったときにも家に訪ねて夕食をごちそうになった。)この春,パリで会った時とまったく同じ雰囲気。二人ともマイペース・・・で、ニコルの両親とはまた別の世界を生きているようだ。

 別の世界といえば、彼等のもう一人の島の友人、ドイツ人で82歳のK氏に何年かぶりに会った。彼は彼が50歳代の時に退職してからは,ほとんど島ぐらし。10年ぐらい前に妻に先立たれ以来ずーっと一人で暮らしていたが,いよいよ無理になって島で知り合った若い夫婦の世話になっている。そのかわり,彼の死後は彼の島の家をもらい受けるという条件で。

 その彼にあった。義父母とニコルとボクの4人で会いに行った。6畳ぐらいの広さ、ベッドに横たわってテレビを見ていたようだ。西陽で暑いらしく日よけ扉を閉めていて中は薄暗かった。ニコルとボクが入ると思わぬ客が来たので起き上がって歓迎してくれた。近況を報告しあった。肺が悪いのか、時折大きく息を吸い,頭を垂れる姿、思うように歩けないらしく傍らに歩行器があった。そんな彼を見ているのが辛かった。

 若さを満喫している人々がいるこの島で、なんの因縁かドイツ生まれの彼が・・・。面倒を見てくれる人がいることはまだ幸福と言えるだろうか。それが老いるということなのか。同情することはむしろ失礼なのだろうか。