拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

KANNJI World

 多分、約一ヶ月前くらいからだと思う。ボクはこの事が念頭から離れないでいる。

 ここ西欧の言葉は,アルファベット、それもたった26文字。
そのアルファベットの組み合わせで,文字,言葉が出来ている。アルファベットの組み合わせでは、西洋の人々は言葉による音声を重視するのだろうか。

 対し我々日本人は何百何千という漢字を覚え、形体を識別する視覚を重視しているのか?・・・ということを。

 文字を通してイメージを頭に思い浮かべる際に、アルファベットの時と、漢字の時の違い。これは,もしかして我々がカタカナばかりの文章から情報を受けるのと少しにているかも知れない。

 もしそうであれば,文字の中に漢字があれば物凄くわかりやすい。・・・でも中国人のように漢字ばかりの文章だとどうなんだろうか?  そういった点でも、日本語は平かな,カタカナ,漢字と学ぶのは大変でも一旦マスターすれば読むときにその便利さを発揮するスグレモノと言える。

 しかし、この問題のボクの興味はそこではなく

 漢字で育った人間は、文字を普段から姿・形として捉えているのであるから、つまり、物事を把握するときに<より直感的>であるように訓練しているような気がしている。・・・特に欧米人にくらべて。

 直感が弱いぶん、西洋の人は文字,言葉をより重視して,その場の雰囲気から発せられる真実を見逃しがちなのではないだろうか・・・というのは少し言い過ぎか?

 とにかく <漢字>は <感じ>にストレートにくる・・・と、今考えているわけは,今度の写真のテーマなのだ。