拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

写真考・妙の一字

 スズキ大拙の著書<東洋的な見方>は大拙の93歳の時の本で、彼の最晩年の本ということになる。自分は大拙の本は殆ど読んだつもりでいて、この本もどこかで読んだだろう・・・と思い込んでいたから、今回本棚から引っ張り出して再読のつもりが、なんだかいつもと少し様子が違うのに気がついて、初めて読むとおんなじ気持ちで読んでいる。

 この本はなんと言うか、これまでのほんと違って、遠慮無く自分の意見を述べているのだ。西洋にないものを我々東洋人つまり日本人はもっているのだから,それをもっと掘り下げて、世界文化の役に立てなアカンのだ!!!・・と叱咤激励に終始している。 
 キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、それを二つに分けた所から、説いているあいだは、埒が明かない・・・とハッキリダメ押ししている、そういったところがそれより前の彼の著書と比べた場合、遠慮していない。

 彼はたしか96歳で亡くなって、死ぬまで現役を通したが、その最晩年は声を大にして、我々同胞に<しっかりせんか!>とこの本を通して、声を限りに訴えていたのだ・・・ということがわかる。

 ふと、自分が行っていた居士林のことを思う。昔(30年くらい前)は学生が沢山、修行に来ていたが、今はどうなのだろうか・・・と。このIT時代でも、禅をやろう・・・という青年がいるのだろうか?

 この本の中で<妙>について書いてあり,

 “ 芸術ではテクニックということをいうが、そのテクニックでも、単にテクニックではだめで、その熟練がいくらあっても妙というものがそこから出てこない。そこにやはり形而上的無意識というものが働かんといかん。・・・”

 ここを読んだとき、ボクはわが写真は、まさにこの"妙”でしか勝負できん芸術ではないかと、思い当たった。

 というのは、写真はカメラが撮るもので、テクニックといってもシャッターさえ押すことが出来れば誰でも撮影はできる。

 写真の面白さは、じつに この <妙>の一字 にあるのだ。