拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

写真評・Super Mamika

 1月8日の日記に<スーパーマンのおばあちゃん>の写真集の話を書いたが、それについて詳しいサイトを見つけたので
是非見てください。http://gigazine.net/news/20101119_super_mamika/

 少し落ち込んでいる祖母を見て、こんな写真を撮ることを提案したら、その後どんどん乗ってきて元気になった・・・
と書いてある。・・・うん、うんそうだろうなぁ。人は生きているあいだは、何かを創造しなきゃ、些細な事でも何かを作っていれば喜びが生まれる。

 この孫写真家Sacha Goldberger(男性)はいい事したね。
 結果、おばあちゃんは元気になり、素晴らしい写真集を出せたのだから。 写真の中にはちょっと悪ノリし過ぎの写真もあるが、何れも徹底しているところは立派、どうやって撮ったの?と思わせる写真もいくつかある。
 しかし、彼女の少女時代のモノクロ写真が一枚あって、それにより強く惹かれるのはそれが、“時を凝縮した写真”ということをボクが知っているからなのだろうか。

 写真の一つの特徴に、"その時”を冷凍保存する・・・というのがある。それが解凍した時のあまりの新鮮さにショックを受けたことが昔あった。それは特に人の若き日の姿と老いた現在の姿を対比した時よく起こるような気がする。
それはただ単に、老いによる肉体の変化に驚くというよりは、その同一人物の二つの異なる時点の姿を同時に見ることで、その人の人生を鏡として自分の人生を垣間見るためかも知れない。

 ただ、この写真は成功していると思うが、デジタル化してから、このような作った写真が大勢を占めていることが、気になる。演出した写真がやたら多いのが、昨今の特徴ではないだろうか。確かに街路で誰でもかまわずスナップすることができにくくなった現在、演出による撮影にいくのも分かるが、その必然性が感じられる作品はじつに少なく、デジタルで色が鮮やかなぶん、一層虚無感が濃く漂うのだ。