拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

人生考・農奴人生・・・

 いまテニスのオーストラリアオープンをやっている。日本ではこれはどうなんだろうか?テレビで見ることができるのか? そして興味を持っている人がいるのだろか?

 ヨーロッパでは、ユーロスポーツというスポーッ専門のテレビチャンネルがあって主なスポーッの中継を見ることができることもあって、我がスイスではかのヒーロー、フェデラーが頑張っているし、さらに我がスイス・ボー州のホープ、バブリンカ・・・と云ってもまだ彼を知らない人がほとんどだろうが、世界ランク19位で、昨日15位のフランス人、モンフィスを3セットで破って気炎を吐いている25歳の若者がいる。彼は今年に入ってテニスに専念すべく、新妻と赤ん坊に別れを告げて、地元スイスでは話題になっているだけに、彼自身も必死だろうし、ボクもスイス人も彼を応援していると思う。

 ここ五六年、このフェデラーのおかげで真冬だというのにオーストラリアの真夏のテニスにうつつをぬかすことができている。
・・・なんの疑問も持たずに年中行事の一環みたいなものと受け止めて今日まできているわけだが、最近読んだ昔の新潮

45・2000年の高橋克雄さんの<究極のインターネット社会>記事の内容に<・・・本人たちは情報化社会を満喫してい

るつもりだが、実は満喫させられていることに気がつかない餌食豊満な農奴人生だ。生涯を面白おかしく意識従属のまま終わるのである。・・・>を発見したとき、ふと自分のテレビにおけるスポーッの年中行事観戦あるいは、ネットのおかげで見ることが出来る日本のテレビドラマ鑑賞などは、農奴人生なのだろうか・・・と。

 彼の説によると、<情報を提供する少数知民とその情報をただエンジョイするだけの多数痴民とに二分された社会は中世への逆戻りであり、民主主義とはいえない。・・・>

 言いたいことはよくわかるし、別なたとえになるが、<マトリックス状>とも云える社会の捉え方は一面真実であると

しても、知民と痴民の図式は何時の世にも見られるし、痴・知を超越した次元に生きる自由も選択肢として我々にはある

のではないだろうか。