拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

  写真の威力

『生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人』こういう言葉が厚さ10cm,で50x35cmぐらいの分厚い板に書かれ
禅道場の入り口に綱で掛けられボクが通っていた居士林では朝、晩の2度木槌で真ん中を決められた作法のやり方で
叩いて、真ん中がだんだん木が削られて凹んでいく。ボクも直日という役目をやっていた時、坐禅修行の始めの合図
終了の合図としてこの木板を木槌で叩いた。円覚寺の境内の森に染み入るカーンという乾いた音が懐かしい。

まぁ、言葉の意味はまさに文字通り…生死事大であり、時は人を待たず、いつ何時何があるかわからないのだから
光陰を惜しんで修行に励みなさい・・・と、そんなところであろうと思うが、当時は特別そう深刻にも受け止めて
いなかったことを告白しておこう。

ところで今、ボクは自分の写真ホームページを充実させるべく手を加えている最中で、上の写真も以前は
『光陰可惜  時不待人』と記入していたのを最近 『生死事大  時不待人』に変更した。

この文のメインはどう考えても後者であると考え直したのだが、同時にその重要性にもあらためて気付き
そのうえ、ある不可解な出来事の原因がここにあったのだ!!!と今頃になって腑に落ちたのだ。

というのは、今から三十数年前ニューヨークでボクは婚約者に連れられて彼女のご両親と兄弟達に
会うためにシカゴの実家を訪ねた時、皆さん大変歓待してくださり、夕食後にご両親の若き日の写真をスライドで
見せて頂いた。写真はボクとの共通項を分かち合いたいという気持ちからであろう、お父様が若き頃海軍の軍人として
横浜に兵役し、それを終えて帰国した日の港での御両親の写真が白い壁に映し出されたのだ。
その写真はまるで映画『愛と青春の旅立ち』の白い軍服を着たリチャード・ギアと若く美しい女性の写真であった。 

これを見た時、ボクは物凄いショック…と云うか、あるいは『恐怖』と云っていい気持ちに襲われてしまった。
自分でも何がどうしたのかさっぱり解らず、その後苦しんだが、ニューヨークに帰ってからほどなく
ボクは婚約者と別れて、ヨーロッパへ行った。そしてその3年後に再び円覚寺の禅門を叩き、本格的な修行を始めることにした。

この流れの意味合いに気付いたのは、実はさっきも言ったようにごく最近のこと。
ニューヨークで起こった出来事は何だったのか、長いこと自分でも不明であったが、『生死事大 時不待人』…
これであったと今は確信する。

あの1枚の写真には 『生死事大 時不待人』 これが凝縮して、ボクに強く迫った…のだった。