拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

人情食堂『キコク』

旅から帰って10日になるのにまだ『旅』かよ…って自分で突っ込みながらも、忘れたくない思い出の数々を、今後の『思い出の食卓のおかず』として忘れないように、しっかり記録。
(しかし、そんなことを言っているとまだ一週間ぐらい書くことがあるかも・・・)

兎に角、ニコルとボクにとって、十何年かぶりの『日本』というと、やっぱり求めているのは西洋では味わえない『和風人情』なのだ…と後になってからつくづく思ったわけであるが
滞在第一夜にしてそれが実現したのは『キコク食堂』という一風変わった名前の食堂に入ったことであった。

日本着第一夜はニコルを喜ばせようと、宿近くの、蔵倉という居酒屋をネットでチェックを入れていたのであるが、やはり甘く、満席のうえ2,3組のグループが席待ち。
う〜ん、しゃあない…と、暗くなる前に一人で銭湯へ行った時、その斜め前にあった『キコク食堂』をおもいだして行ってみた。
いわゆる居酒屋っていう雰囲気ではなく、大衆食堂っていう提灯がでていたが、ほとんど飲めないボクには暖簾に『串かつ』の一句があれば立派な『居酒屋』!ってなことで
中に入った。カウンター席の他には2席しかテーブルがなく、そのうちの一席に坐っていた4人にも『こんばんわ!』と声をかけたが、もう一つ反応が悪いなッ?と思ったら
彼らは韓国人だった。
低いカウンターの中にはオジイサン、料理を運んだりするのがその娘さんのようで、一見して家族経営の食堂とわかる。
カウンターの右端には常連の老女が席をとって、ニコルが爺さんに話しかける言葉に横から頷いたり、返答したりしてきた。

ボクは39歳にヨーロッパに渡るまで居酒屋に一遍も行ったことがなく、したがって何を注文してよいかわからない劣等感があったが
その点では、酒に強いニコルのほうが5年ほど日本に住んでいた間に沢山、居酒屋なんかに行っていたわけで、冷奴やら何やら適当に注文しながら、彼らと話しがはずんだ。

夢の熱燗に串かつ…を食べながら気分もよくなってきて、『へえ〜スイスから来たのかい』と、オジイサンの舌も少し軽くなってきていたので
ボクはここの食堂の名前の『キコク』っていうのはどういういきさつで付けたのですか?と質問すると
爺さんはニヤニヤっとして、『それはなー、この近くにある渉成園という日本庭園にある枳穀(キコク)邸から名付けたんやよ』・・・といいながら渉成園のパフレットを見せて説明してくれた。
ボクはてっきり『帰国』のキコク…と思い込んでいたので、自分の的外れに大笑い、爺さんも常連の老女もそれがわかっていたようで一緒に大笑い。

その翌日の夜
再び行くと、入った途端『あら〜、外人さん。ハロー』…とニコルの姿をみるなり、いきなり酔っ払いの声。
カウンターの一番右奥に、昨日もいた常連のお婆さんの隣に中年すぎのオヤジが坐って一人で賑やかにしていた。
カウンター左側には近所に住んでいるという年配の夫婦と香港から今日京都に着いたばかりの若い男が一人で坐っていて、賑やかなオヤジが限られたボキャブラリーでなんやかんや声をかけると、
マスターの爺さんが、『その下手な英語はやめとけ〜』のセリフを合いの手を入れるように、繰り返す。
賑やかなオヤジが5年前まで山梨から京都に単身赴任していた時は、この『キコク食堂』の常連だったという。
隣りに座っている老女を『サッちゃん』と呼んで、香港男にガール・フレンドいないんなら、この『サッちゃん』をやるから持っていけ〜・・・『ギブユー、サッチャン』などと英語で
言って、香港の男が『ノーサンキュー』と返事して、皆で大笑い。・・・それでお爺が、『下手な英語はやめとけ〜』と合いの手を入れるタイミングは・・・まるで関西漫才。

ボクはこういうところで酔っ払う…という事自体が初体験なので、知らない者同士が、こんなにくだらないことで実に陽気に盛り上がる居酒屋…という装置が
庶民の『人情』をたっぷり味合わせるものであると言う事を知り、また実際にそれを味わうことができて幸せだった。(ワインで鍛えたのが役立った瞬間でもあった)