拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

還暦する自分史


    『自分史』のテーマにピッタリの写真を撮れた感に満足図

先日、大好きなPodcast(〜アンドロイドではCastBox)で、ラジオ版・学問ノススメ立花隆さん講師で『自分史』テーマ
のお話があった。(2014年の収録)
キッカケは50歳代以上の人を対象に、ある大学が催した講座に立花氏が講師として依頼されたもの、とのこと。
立花氏曰く、60歳は自己の歴史を振り返るのに最もふさわしい年代…とのこと。まさに、『還暦』する…である。

還暦も半ばになり大雑把でも俯瞰できる『自分史』をしてみようと思った。

1〜10歳:遊戯三昧期
     まったくもってよく遊んだ。今考えるとボクの性格形成の基盤がこの時期の『遊び』にあるような気がする。
     育ての母は眼が不自由で、文盲であったから、日常の躾は厳しかったが、それ以外のことは放任されていたので
     暗くなるまで、冬は長靴に毛糸で編んだ脚絆をはいて雪にまみれ、帰宅してストーブにあたると軽い凍傷なのか
     足が痛くなったりしたものだ。まだスポーツとは無縁でも、大自然のなかでの遊びで体が鍛えられた時期。

11〜20歳:小、中、高校の学生期
     小学校では『歯磨き』から教えてもらった。それまで、多分歯を磨く習慣がなかったように思う。
     『紙芝居』が大好きで、夢中で見ている子供だった。クラスは多く50〜55人ぐらいいたが、どの先生も
     熱心で一所懸命教えてくれた。お陰様で高学年ではまあまあの成績でクラスの子とも仲良く、特に稲田君とは
     ふざけあって、映画『マタンゴ』というキノコの化物に稲田君がなって追っかけられるボク…は忘れられない。

     中学校では、部活が中心の生活だった。夏は柔道部、冬はスケート部。その前に毎朝自転車で『牛乳配達』をした。
     ボクの田舎、北見は国鉄職員の子女が多く、進学する者がほとんどで北見市内で進学校は柏陽と北斗高校があって
     皆、そこを目指していた。ボクもなんとなく高校ぐらいは出てないと将来大変だ…ぐらいに思っていたようで
     300人中30番ぐらいの成績で、柏陽高校に入学した。

     高校一年生の時、実母が死に、姉も嫁に行ってボクは一人になった。市役所の福祉職員のお世話で
     市会議員の方の家に卒業するまで夕食付きの下宿。進学校であったので、ボクのように進学する気がなかった
     者にとって、この時期は結構辛かった。皆大学受験を目指している中、そうでない者が何人かいてボーツとして
     いたが、それじゃまずいと、自分なりにこれはと思う本を授業中に読んだり、3年生のときは自転車で北海道3分の2周
     した時、同校の野球部が甲子園出場してこの時優勝した箕島高校にやぶれた。友達が一人もいない三年間、成績は多分
     卒業させられないレベルであったと思うが、お情け卒業し、東京のオープン間近の京王プラザホテルに就職。

21〜30歳:写真三昧期。カメラは一番小さくて、安いペンタックスSP。
     東京から何故か、神戸に渡って六甲道の牛乳屋さんに3人共同の住み込みしながら、写真学校へ。
     ボクの田舎とは全く違う環境で、写真という目標を見出して最高に充実していた。
     写真学校〜同校助手勤務〜英会話学校(車で弁当配達)〜東洋鍼灸専門学校+無為塾(某学校宿直勤務)〜禅を始める

31〜40歳:33歳で鍼灸学校を卒業・免許取得後、36歳ぐらいまで、ヨーロッパ、ニューヨークなど行ったり来たりして過ごす。
     36〜39まで円覚寺にて居士として禅修行&太極拳を村瀬大翼、李徳芳先生に学ぶ。(夜間クレジットカード会社勤務)

40〜50歳:バトミントン三昧期。 39歳、ニコルと結婚しスイス在住。フリーの観光ガイドを始める。
     来瑞当初、練功十八法(中国体操)を教えていたが、それで食べていけずガイド業に専念。
     1995年ローザンヌでバトミントン世界選手権が行われたが、丁度この年ボクは43歳でバトミントンを始めた。
     多い時は週に3回、家から近いバトミントン場へ通い、一回に3時間ぐらい練習、これを2005年まで継続。

51〜60歳:写真再開期。2001年(49歳)例の9・11でスイスへの観光客激減が決定的になった頃、2003年引越し屋の話があり勤務。
     以来、収入とバカンスが安定したため写真活動を再開。初めは自宅に暗室を設けて再開したが、2006年にカメラを
     デジタルにしてPhotoshopに移行。 2011年(59歳)3・11があり6月にスマートフォンを買い、ツイッターで俳句を
     始め、ツイッターやその他のネット情報で日本の政治状況に目覚め、2012年12月の衆議院総選挙に初めて投票権を使用。
 現65歳:引越し屋を15年勤め5月に定年退職。4月に自分の写真に短歌を刻んだ作品で展示。

 こう書き始めると案外、あれやこれや思い出し始めたが、大雑把なところでまとめる。
 先のことはわからないが、ざっとこうして俯瞰してみると来年の抱負への参考ぐらいにはなるだろう。