拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

 必撮無眼流 〜 猫の記憶


   森山大道の『犬の記憶』に匹敵しそうな猫の図

パリのジュンク堂で森山大道著『犬の記憶』を買って、今日読み終えた。

彼の本を読んだのは初めてで、饒舌とも言える文才に舌を巻いた。
彼の写真から受ける印象、彼自身の肖像写真から受けた森山大道という人の印象から、ボクは彼のことを寡黙で
言葉表現の出来ない不器用な人物…という感想を勝手に思い描いていたから、この本『犬の記憶』を読んで
ぶったまげた…というか、裏切られたような、加えて若干嫉妬心などが湧きながらも、惹かれて読んでしまった。

ボクより14歳お兄さんの森山大道は、ボクが21歳(1973年)で写真学校へいく頃は写真雑誌『カメラ毎日』に連載したりして
すでに写真家の間では有名人であった。(彼は写真批評家協会賞・新人賞を1967年に『にっぽん劇場』でとっていた。)
1967年というとボクは15歳だから、ボクが写真を始めた頃は森山大道はブレボケ写真で有名であったから、別に新しいとも
思わず、ただボクとは方向性が違う…と感じていたので、彼が世界的に有名になってこちらヨーロッパで写真を見かけるように
なっても、これといった感想も特にないまま今日まで来ていた。

彼のモノクロ・ブレボケは日本のように湿気と血の気の多い人種には在って当然のように思えたし、事実彼を真似たブレボケ派
が70年代には一派を形成していた。(いまでいうラップ・ソングみたいなものだろうか。)

それにしても、彼の本『犬の記憶』は写真と云うものを考える時、それからボク個人の写真の歩みを考える時に実に『鑑』として
大いにボクを映してくれるものであった。

森山大道は21歳の時、関西で有名な『岩宮武二』、24歳で『細江英公』(三島由紀夫を撮った『薔薇刑』で有名な写真家)の弟子となり
その時、かの有名な東松照明とも接点があり、さらにかの有名な中平卓馬と公私に渡って親交があり、その他、横尾忠則や寺尾修司等と
の関わりがあったことを『犬の記憶』で知るにつけ…この人は本当に写真の一時期を駆け抜けた時代の寵児であったなァ〜…と、つくづく
思わざる得ない感想を抱き。  いつか、『森山大道』を主人公にしたドラマ映画が出来るに違いない!!!とボクは確信した。勝手に!

やっぱり、森山大道はだだの『ブレボケ』写真家ではなかった。第一、当時誌上でボクなどは七面倒臭い理屈をこね回すだけの人間に思えた
『中平卓馬』と語りあかす親友が『森山大道』だったとは、『犬の記憶』を読む今日まで知らなかったわけで、森山大道が写真の『記憶』について
これだけ、延々と記述できる素養は、中平や細江、東松、横尾、寺尾などの傑出した人物に取り囲まれた幸運もあったであろう。


    その寵児にすれ違った可能性があったかもしれない図

(森山をリーダーとするその一派が立ち上げたギャラリーCampでボクは1982年に6日間個展をしていた。
 その時もしかしたら森山大道にあったかもしれない?(そこは猫の記憶なんで…)
 何れにせよボクも人一倍ひと見知りでなんで声をかけられなかっただろうけど・・・。