拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

琴線ー1

 フランスの歌手というか、ラップの変種でハートで歌い、語り、踊るアフリカ系フランス人青年の名はアブ・ドラ・マリック。彼の音楽はジャズぽく、アフリカンぽく、フランスシャンソンぽいが、一番大事なのは彼の詩で、ボクはその半分ほどしか意味を聞き取る事が出来なかったのにも関わらず、今夜の彼のコンサートに感動した。ローザンヌの隣町モルジュでのコンサート。
 彼の歌の内容は政治、宗教、人種、そういう枠を取り去った、或はそういう制限の中にもしっかり咲く一人一人の人間性・・・みたいなものをしっかり見つめている自分や他人の存在のようだ。

 そんな大音響の中で、ぼくは”琴線”という言葉を練っていた。この言葉は自分の中で、大事なキーワードなので、これからもこの日記の中で何度も出てくると思う。

 琴線というものは、震わそうとして震うものではなく、何かによって震わされるものだと思う。この世の中には、絶対音があってそれを聞き取る為には適度な緊張、弦の張りがあってそれが絶対音と共鳴した時、琴線は大きく震うのだと思う。それは世音を観るほどの緊張で、ボクはそれを観世音と解している。ボクにとってこの絶対音は観世音。質のいい仏像を観て欲しい、彼らは必ず絶対音を観、聴いている姿でいる。仏教でいう智慧はこの適度な緊張を保ち制御する事が出来る能力で、それはどんな人にも備わっているという教えではないだろうか。

 人との関係の中で、どんな人との関わりでもこの緊張が欠けたとき、エゴがはびこり和を失う。日本にはまだ”道”という形で、この緊張を体で学ぶシステムがある。茶道、華道、書道、剣道、
素晴らしいものがまだまだ沢山ある。ここヨーロッパはどうか。