拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

合掌

この合掌ハガキは、この暮に亡くなった相方の伯母さんから、この夏に老人ホームに訪ねた時ボクがもらったもの。

伯母さんがこのハガキをボクにくれると言った時、東洋人であり、寺で短くない期間過ごした自分よりは、誰かが伯母に送ったであろう貴重な郵便ハガキは伯母の部屋にこれまでのように飾っておくほうがふさわしいのでは…と思い、そう云って断ろうとしたら有無を言わさず渡されてしまった。

この美しい合掌の写真がボクの部屋に来て、書棚の一角に置いてあり、見るともなく見ていたのだ…。

というのも、ある夜よく眠れない晩があった時に、どこからともなく『合掌』についての見解が勝手に深まっていた、ということがあったからだ。

寺で修行中、あれほどしょっちゅう合掌低頭を繰り返していたときには、そんな深い意味合いを感じ取ることが出来なかったのに、今頃その真意を悟るとは…。

これはやはり死を予感していた伯母さんからの贈り物であったろうか?

はたまた、長年無意識に疑問視していた問題が、この一枚の写真をきっかけに解けたか。

合掌といえば、ボクは子供の頃食事する時に言う『いただきます』に合掌を添えていたのか???どうかどうも記憶にない気がする。もしかしたら、この習慣は30歳過ぎてから禅寺で習った習慣のような気がするのだが・・・。

もう一つ合掌といえば、即仏教というくらい自分の中では仏教=合掌のイメージがあったが、大好きな仏像を思い浮かべると、案外合掌をしている仏像が少ないことに意外性を感じる。しかもなお、自分が発見したその意味の重要性に仏教=合掌であることに納得がいくのである。

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元旦にその意味を吟味することは、その習慣を持つ東洋人としてサムシングに違いない。