暮れる年
今日、クリスマスを一日前にしてニコルの両親、姉と娘&その婿そして我々夫婦でクリスマス会を開いた。
今年、11月にニコルの伯母(義父の姉)が93歳でなくなった。ボクがスイスに来てから初めて身近な人がなくなった。
30数年前、僕等がスイスで初めて借りたアパートは彼女の母親、つまり義父の母親が老人ホームに入ることになったので又借りすることになった。今思うと、老人ホームで会ったニコルのおばあちゃんはちょうど今年なくなった伯母ぐらいの年齢であった。
伯母さんは長いこと、親戚一同を会したクリスマスを催した。ボクも初めてお呼ばれしたときは、本場のクリスマスとはこういうのも…かと感心したものだ。
それが、夫が死に、孫たちも世界中に飛び立ち、いつの間にかそれぞれの家族単位のクリスマスになっていた。無常迅速・・・。
伯母は若かりし頃、脱走兵のポーランド人と結婚したが、そのために自国の国籍を剥奪されたそうだ。教師だった職も奪われたというから、どれだけスイスという国が頑迷な保守国であったか!だから2男1女を育てるのに大変な苦労をしたそうだ。
いろいろ聞けば面白い?話が沢山きけそうだったが…。
そういった事情もあったからだろうか、ボクのようなどこの馬の骨ともわからない人間を大変温かかく迎えてくれたことを、感謝をもってよく覚えている。
気候もすっかり寒くなり、暗くなると『湯』が恋しくなる季節になってきた。
小舟のような湯船にお湯を溜めている時、幼少時に毎夕方銭湯に連れて行ってくれた母を思い出した。なんせ家に風呂がないから、風呂好きな母は毎晩風呂に行った。
母は盲人だったから、手を引いたのは幼いボクであったけれど・・・
考えてみると、スイスのアパートに落ち着くまで、つまり39歳になるまでボクは銭湯のお世話になっていたことになる。ヨーロッパ在住で温泉が恋しい…とずーっと思っていたが、実はそんな贅沢な風呂でなくても自分は湯船に熱い湯に浸っていれれば自分のルーツにつながっているような安心感に抱かれるのかも知れない…とつくづく思った。
それに、前にも書いたが我が湯船は窓を開けると空を見上げることができる配置になって、露天風呂気分が味わえるのだ。