拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

 愛と力


      ニコルの伯母を老人ホームへ訪ねた時、一緒にした散歩の途中で見かけた少女像のある池

 年金の手続きの為、戸籍抄本が必要になり、それがどんなものだったか?
 思い出すためにニコルと結婚した時(28年前)準備した書類の中に戸籍抄本やら謄本なるものが
 あったわいナ〜とタンスを調べるとあったあった。
 なんとなく戸籍謄本を見ていると、46歳で亡くなった母の欄に彼女が生まれた住所が書いてあるではないか。
 母は大正12年、東京府南葛飾郡…とういうところで生まれていた。

 Google map で調べてみると旧中川と大きな川、荒川に挟まれた現在は江戸川区の小松川に生まれたのだ。
 母が生まれた頃はきれいな川があり、海にも近く適度に自然があってさぞかし住みよいところであったろう。
 3歳年下の道産子の父と出会うまで畳屋の一男三女の長女としてこの地に暮らしていたのだ・・・。

 母の生まれ故郷をGoogle-map で見ていると、なんだか切なくなってきた。
 好きな男に付いて北海道の北見まで来て、姉を産んで、ボクを産んだ30歳頃、体調を崩し子供の面倒が
 みられなくなり、よそに預けたりして苦労している時、父は姿を消した…。
 姉は孤児院、赤ん坊だったボクはよその家を転々として最後に育ての母の家に落ち着いた。
 一家が離散してしまったのだ。
 その頃、母はどんなに寂しかっただろうか… 想像できない。
 ボクは小学校に通う頃から母と姉のもとに戻り、実母と育ての母の間を行ったり来たりしていた。
 ボクが高校一年のとき母は亡くなった。

 高校をでたボクはその後、神戸を経由して東京には全部で8年ぐらい住んでいたけれど
 江戸川区方面には一度も行ったことがなかった。
 母の生地を今日まで知らなかったから…
 母の名は『愛子』、父の名は『力弥』だった。