拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

侘び寂び考

日本人、並びに日本好き外国人は皆知っている…と思い込んでいた『侘び寂び』という言葉と意味。

それが案外知らない、知られてない…っていう事がわかり、そういう自分も知っているつもりでいたけど、よ〜く考えるとわかっていなかったかも・・・と反省して先日パリに行った時ジュンク堂で赤瀬川原平著、千利休を買った。

それでビックリしたのが、彼が1989年に勅使河原宏監督、利休を三國連太郎、秀吉が山崎努、その他めちゃめちゃ豪華キャストのこの映画の脚本を、頼まれるまで日本史の無知レベルがボクとほぼ同レベル…と自分で本の中で告白している前衛芸術家赤瀬川原平さんのことであった。

まぁ、映画公開が1989年だったから禅修行中だったボクは当然見たかな〜っと思ったら、見てなくてスイスに在住してから見た映画は、利休は利休でも三船敏郎主演の原作井上靖、監督熊井啓の『本覚坊遺文』の方を先に見てひどく魅せられ、それがキッカケとなってもう一つの千利休映画、勅使河原宏監督のを見たのを思い出した。今、ネットで調べたところによるとこの2つの利休映画、同年の1989年公開って凄いね。

何れにせよ、この大変重いテーマの映画脚本家に赤瀬川原平氏を選んだというのは、勅使河原宏監督の審美眼というか、よくぞこの人を選んだものだ…と、その英断に敬服。

で、赤瀬川原平さんの本『千利休・無言の前衛』を読むと、前衛芸術家としてのユニークな利休解釈がなされ、禅ポインビュー…っていうのはあまりなくて、それはそれで面白かったが、もし彼が禅に関心があった場合、もっともっと面白い映画になっていたことであろう・・・と妄想したりした。

利休の師匠筋になる村田珠光が『わび茶』を始め、後にそれを完成させたのが利休であったという。そのわび茶から『茶道』完成の過程で『侘び寂び』の思想のようなものがそれこそ『以心伝心』の形で良い意味でも、悪い意味でも明確な定義なしに現代まで伝えられて来たところに、わかったような、わからないような感がこの『侘び寂び』にはあったのだろうか。

実際に茶道なんかに打ち込んでいる人なんかには明白なことであろう『侘び寂び』も一般市民的にはよくわからない思想なのだろう。

しかし禅道場で修行し、茶礼(されい)なんかの時を経験した者は、茶道について原体験的理解があり、その延長線上の『侘び寂び』も『無我』を行ずるとき『我』が解凍の際に発する香りのようなものではないかと思うのだ。

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明らかに『侘び寂び』の対極を意識した作品は世界の富豪が集まるスイス村クスタードへ行ったときギャラリーで見かけた作品