拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

禅修行 <脚下照顧の ”Zen”>

 今朝、ふと昨日の”戦メリ”の自分の記事のことで,大事なことに気づいた。
 
 坂本龍一さんも,先日終えたCOP15も,そして映画”アバター”もつまるところ ”エコロ”の問題に帰するわけだ。
それで今,世界中のひとが何かしなければ・・・と思案している。

 ところで、25年前、写楽斉が始めた ”Zen” 自体が”究極のエコロジカル・ライフの方法論と思想に裏打ちされた実践システムを持っているという事,それが茶道とか俳句とか様々な形で我々の日常生活に浸透している。・・・という事を、遅いボクは今日のきょうまで考えもしなかった・・・という反省なのである。

 一切の無駄を嫌い、モノを活かして使う・・・というより,使わせていただくという心持ち。自分が生きるというより,周りのすべてに生かされているという一点に気づくことがZenであると1500年前からダルマさんは我々におしえている。

 そんな教えが我々の身近に”禅文化”=日本伝統文化として存在している。

 まさに ”脚下照顧!” (しっかり自分の足元を見なさい・・・)

 三十歳を過ぎたボクが初めて,学生摂心という一週間の禅修行に参加して最も驚いたことは、外にある流し台で鍋を洗っていた学生が流れていく飯粒を追いかけて、つまんで口に入れている光景であった。

 学生の一途な行為にボクはビックリしつつ感銘を受けたが、そういう風にモノを徹底的に大切にする生き方を身を持って教える機関が今、禅の他に存在しているだろうか。

 禅の修行ではモチロン、”エコロジー”なんてことを一言も言わないが,モノを粗末にしない、モノを活かしきっていくという態度が”悟り”をどうこういう以前の基本的第一事項としている。・・・という事実を我々日本人はもっと評価していくべきではないだろうか。

 ”エコロジー”問題といっても究極は ”我欲”の問題でそれを見ずして云々しても根本的解決は無理であろう。