拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

ドテラの写真家

 ちょうど一週間で山本周五郎著〈虚空遍歴〉を読了。

先週木曜日に、これはすごい本だ・・・と書いたけど。 この終わり方はかなり寂しい。主人公・沖也はとにかく自分の目的に向かってまっしぐらで良かっただろうけど、旅に出てから物語にも登場しない、妻や生まれたばかりの子供の気持ちは一体どうなんだろう・・・・無視していいものだろうか。

 ボク自身のオヤジがこんな感じで妻子を捨てて、好きなことをヤリ放題だったので、ボクはこの辺に<カチン>ときたね。芸(術)一本槍も結構、しかしそれだったら結婚するな!子供つくるな!と思うのだが。

 
 きのう面白い写真展を見てきた。上記の小説とは対照的な富士一本槍でも明るい、岡田紅陽の<富士>の写真をいまジュネーブの領事館オムニバスホールでやっている。どういう経緯で紅陽の写真展なのか職員に聞いたが、ドイツ・ケルンの外務省に彼の作品が保管されていて、今回それをジュネーブでの公開となった・・・というような?ことらしい。

 岡田紅陽を紹介するビデオを見て、その人柄に魅せられた。20歳頃から富士山に取りつかれて、〈富士子を撮りに行く〉と言っていたそうである。関東大震災の時、多数のネガが破損したのだが、その時誰かが撮った、岡田紅陽は廃墟にたって笑っ写っていた。晩年富士山を撮りに行くとき、いつもどてら姿だったので、ドテラの紅陽といわれてたそうだ。

 外国人が日本に対してもっている三代イメージの一つ<富士山>はこの岡田紅陽の写真展が昔ヨーロッパ・アメリカで行われたことが大いに影響しているという。 77歳、1972年に亡くなっている。
 写真家の大先輩としてこんな素晴らしい人がいた事、そして知ったことを感謝とともに誇りに思う。
 
 ドテラに日本手ぬぐいで頬かぶり、くわえタバコでカメラの操作に専念している岡田紅陽自身こそ人間味を絵にしたような日本人。