拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

『間』を悟った人 = 人間

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一撮流解釈だけど、人をして『人間』という言葉を創作した中国人はなんと素晴らしいのだろうか…と最近考えている。

日本では昔から『間』が大事…てなことを言われていたので、日本人であれば誰でも聞いたことがあると思う。特に芸事に関して『間』ということをやかましく言うようだ。

一応ググってみると

ーー『人間』は仏教用語でサンスクリット語『Mamusya』の漢訳。(音から、間無者と聞こえるのが面白い…)

仏教語としての『人間』は世の中、世間、人の世…を意味した言葉で『人間』に『人』そのものの意味が加わったのは江戸時代以降 ーー。

そうだったのか、『人間』はもともと仏教語であったか!

しかし、そうであっても漢訳の『人間』は世の中を意識した人と人の関わりを表す意味で『人間』であったか。・・・

しかし、後の唐代の禅僧、臨済なんかは違う『人間』を解釈したに違いない。

彼は各々皆の中に『無位の真人』が息づいているのだから、それを証明してみよ!

と修行僧の胸ぐらを掴んで『喝!』を入れた、それがボクの言う『人間』の字源だ。

だいたい、最初の漢訳者が『人間』を誤った訳をした可能性もあるし…。

いや、これが『禅』の活き方なのかもしれない。あくまで人間を深掘りした解釈が。

『人』が『間』を悟った時、人は本当に『愛』を解し、その生き方は二つの『間』に風流を吹き込むのだろう…よ。

追加:そうそう、大事なことを忘れていた。

自分が『間』に行き着いた、もう一つの事…それはアメリカの脳解剖学者Dr.Jill Bolte TaylorのYoutube動画と著書『奇跡の脳』による、右脳と左脳の話だった。