拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

ホモ・サトリ(その1)

先日、無理やり読了した『ホモ・サピエンス』…して今、『ホモ・ゼウス』を読書中。

どちらも、世界中でベストセラーとなっているイスラエルの大学教授ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書で、我々人間の営みというのが、ホモ・サピエンスという人類が地球上で生き延びていくために何をなしたか…という視点で人間の歴史を眺めた風景を書き留めた本で、これまでのいわゆる歴史観とはある意味全く違う。

『生存』の一点で人間の歴史を眺めた時、政治経済はもちろん、宗教すら人間が頭で作り上げた、生きていく上でのシステム…ということになる、という結論だ。

めざましいテクノロジーの進化の波間に漂っている現代の我々自身も、うすうすそういった歴史観を心のどこかで待ち望んでいた頃に、43歳という若きイスラエルの歴史学者によって『生存』以外のいかなる粉飾も取り去った眼で書かれたこの本に諸手を挙げて腑に落ちた…というこころだろうか。

問題は、その彼の眼で観た未来の人間社会であるが、ボクはまだこの分厚いだろう(電子書籍で読んでいるので実感がないが、この本には間違いなく催眠効果がある)本の途中をウトウトしながら読んでいる最中なので、今ここで焦ってボクの考えなど披露する必要はないだろう…とは思いながら、この本についてはやはりいろいろな人が何か言いたいらしくYoutube動画でご親切に本について解説してくれているのをじっくり観ることでだいたいの荒筋を理解した時、これまで理解したことをまとめる上でも自分の考えを開陳したくなったのだ。

ところで、この『電子書籍』という言葉…なんとかならんか?な、『電書』とかなんとか?いいのが出てくるまで、ボクは『電書』で通そうと思う。

で、ハラリ氏の考えでは、人間の未来は富める者は不老長寿化を実現し、能力の劣る貧しい大半の者はその富める者達の奴隷となる…というのだ。

だいいち、日本はすでに『この道しかない!』という安倍の掛け声によって粛々とハラリ氏がイメージする未来社会に突き進んでいる。

ハラリ氏の未来観は、例の映画『マトリクス』とオーバーラップするところがあるが、大きく違うのはリーブスが演じるネオが『悟り』によって人類を救う視点がない…ところだと思う。(面白いのは、リーブスは別の映画で『仏陀』も演じている事)

というか、ハラリ氏の話には第二の認知革命について考察はされているものの、人間の歴史の中で、釈迦牟尼が覚醒めた『悟り』については言及していない大きな欠陥があるように思う。

今から約2500年前に釈迦牟尼は『悟り』を開いたが、それこそホモ・サピエンスの『第二の認知革命』であったとボクは確信している。

歴史上の人物としてガンジーやキング牧師など自己の命の危険を顧みず人々の為に立ち上がった人々の中に脈々と流れる『無償の行為』の奥には『悟り』という人間の本質がある。悟りは特別な人だけに在るものでなく、誰にでも『ある』と宣言したのが仏教であるが、それは逆に『仏教』という枠に閉じ込めてしまった。

仏教では欲にまみれて『慈しむ心』の欠如している者を『無明』というが、ハラリ氏の歴史観は無明で貫かれている。

今現在、私達は街に出て安全に歩いたりすることができるが、それって無用な争いを止めてきた事実の上に実現している…それを思った時に少なくとも悟りを尊重する風潮がいまだここにあることを実感させてくれるのだ。故に我々は有難う(有り難いことである)…と感謝をあらわす。

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