拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

人(ホモ)・間(サトリ)〜その2

今はまだ12月31日20:20、あと3時間40分で2020年になる。

今年と来年の間(はざま)で来年の抱負について語ってみたい。

10月に同名のタイトル『ホモ・サトリ』でブログを書いた。

 

syaraku-sai.hatenablog.com

 ボクが65歳で定年退職した2017年に日本に帰国した際、訪れた伏見稲荷の無数の鳥居をくぐった時、文字通り閃いた漢字『門』・・・以来、ずーっと気になっていた『人間』という言葉の持つ真意(もちろんボクなりの)が明確になりつつある。

つい先日、何冊かある昔の三日坊主的日記ノートを何年かぶりで読んでいたら、ボクの32年前(1988)につけていた『坐禅日記』の記述に『人間』という小題をつけ『人間の間は悟りを意味しているのだと思う』とあって、我ながら本当に驚いたが、そんな昔にボクは人間という言葉に疑義を抱き、直感的に答えを出していたのだ。

それが、いつしかすっかり忘れていて、2年前に伏見稲荷の鳥居をくぐることで、再びその疑義と答えが蘇ってきたのだと思う。

AI (人工知能)という知識の積み重ねの末に実現した人を超えた最高の知能に人間は支配されかねない危機的状況にあっても…というより、だからこそ一段と輝いて観える仏の『悟り』にボクは注目するのだけれど、何故かと言うと、『悟り』こそは知識を取り払った先の先にあるいわゆる『空』というAIも一歩も踏み込むことができない『間』を人はDNAとして誰もが持っているからなのだ。

…そういった事を、提唱する場を2020年は持ちたい…なぁ〜と抱負している。

それが『人間』というふうに先人が名付けた真意ではないのか。