拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

森羅愛でつつ…

当時成人だった人々で精神的に何らかの影響を受けてこれまで生きてきた者にとって忘れられない3・11 が二日前に過ぎた。

当時すでにスイスに在住していた自分には、動画を見て想像するしかない傍観者であった。

大津波と原発事故で未曾有の被害を被った地方と国民に対する援助と復興に向けた国政の信じられない不誠実な施策に、それまでノンポリで通してきた60を迎えた爺の眼が覚め、『在外投票権』を取り寄せてせっせと投票するだけではなく、奇しくも同時期に発達したネットワークをフル利用して政治の動きを凝視するようになった。

そして、あれから9年たった一昨日、WHOはコロナウイルスによる世界的感染に対してパンデミック宣言を発したのだ。ここに来て、今年の夏予定されていた東京オリンピックすら実施が危ぶまれる意見も出始めた。

ボクが注目したいのは 3・11 の9年後の同日に『パンデミック宣言』がなされ、世界中の人々が感染の大津波に恐れをなしている…という図式なのだ。

9年前の『東日本大震災』の大津波には傍観者でいた多くの人類が、今回のコロナ大津波では誰もが当事者であることをま逃れない現実は、感染の問題だけではなく、経済的にも世界的打撃を引き起こしつつあるようだ。

誰もが予想不可能な状態と言うのは、それこそ9年前に日本の政府関係機関が使用していた言葉『想定外』とエクスキューズして予防を怠っていた、『人類の奢り』であることは間違いない。

 

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     ケイタイの短歌メモで発見した去年の自分の短歌より