拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

禅修行<全然のZen (2)>

 昨日の自分の日記を読んでみると、説明が舌たらずの為、30代の10年間禅の修行に明け暮れました、みたいに思われるのでは・・と少し反省。この10年間は小、中、高校、大学みたいな感じで徐々に修行のレベル?を上げていったわけで、それでなければ直ぐ挫折していたと思う。

 禅寺(ボクの場合は臨済宗)の修行で、不思議に感じたことは、修行の目的に一直線あるのみ。で、

修行中自分が仏教を体で学んでいるのだ・・・ということすら感じなかったほど、仏教の仏の字も出てこなかったこと。普通宗教というと、勧誘とかなんとか有るように思っていたが、そんなこと一切ない、どころか気に入らなければさっさと帰れ・・・みたいに容赦なくひたすら坐禅に集中あるのみ。

 ボクはしばらく一泊の土日座禅会というのに通ったがこれらの道友とは大晦日の坐禅会の時話しをしただけでその他の時はほとんど口をきかなかった。毎週末、顔を合わせて厳しい修行に共に耐えていくと、ああ、アイツも頑張っているなあ、ぐらいなものでネチネチ、ヨナヨナ式の人間関係は全くなかった。

 教えというと、何の説明も受けずにひたすら大声で読んでいた、般若心経や、その他のお経。意味が分からないが、だんだんと薫習(くんじゅう〜香が少しずつしみ込む様に習慣によって身に付く様)されていく。ボクの場合、老師の説法もさることながら、弟子の雲水達の立ち居振る舞いにおおいに、学ぶところがあった様に思う。