拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

禅修行 <公案としてのロックンロール>

 臨済宗で本格的に修行をすると、公案という問題が与えられ修行中はそれに向かって全力で体当たりするわけだが、以来、何を見ても公案にみえてくる。初めてヨーロッパを旅行してスペインの教会で十字架上の血だらけのイエスを見たとき、強烈にそう感じたのをよく覚えている。

 写楽斎の作品に自写像があるが、最近ふと思ったのだが、これなどはボクにとってはロックンロールなのだと思う。
物心ついてから、これだけロックと演歌を聞かされて育てば、写真にだってそれがイヤでも出てしまう。
 それなのに、写真界では何故かロックンロール的な解釈が全く出てこないというのはオカシイ。

 こんどその写真で写真展をやる時は、その辺の解釈を強調してみようか。

 そこで、今日考えたが、ロックンロールというは、立派な公案だと思う。公案的に和訳すると”踊りだす岩”てなことになるのだろうか。

 臨済禅師は9世紀、唐の禅僧で 何かと言うと ” カ〜ッ!!!”叫んでいた人だが、かなりロックンロールしていたと思う。RockとZenは色即是空の如きものだと思うが。