拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

禅修行<いまさらマトリクス・赤いピルを飲め>

 島ではアバターが始まりましたね,どうですか?気に入りましたか。視覚的にすごい仕事を見せてもらい将来性を感じさせてくれたと思いますが,写楽斎的には深みの点でマトリックスの足元に及ばないと感じましたが・・・。

 ほんとに今さらマトリックスなんですが、ボクにとってはこの映画は画期的なおかつ、禅がZenになる道を示す象徴的な出来事と捉えています。この映画を仏教的に捉えた人が結構いたようですが、特に禅的であったと思います。

 映画では,真実を知りたければ赤いピル,ここから引き返したければ青いピル・・・と迫られますが,ボクの場合は,小さなお寺での週一の坐禅会からもう少し厳しい一泊二日の坐禅会にきりかえる際にこんな感じに自分をせめこんだ気がします。

 この土日坐禅会を3年ぐらい続け、その頃通っていた鍼灸学校卒業と同時にボクはニューヨークに一年,ヨーロッパに一年の旅をしている最中,急に世の中が虚構で塗かためられている様に感じて帰国、以前通っいた禅寺の老師に正式に弟子にしていただき改めて禅修行を始めた。この時は何のためらいも無く,と言うより薬を欲しがる病人の如くボクは"赤いピル"を口に放り込んだわけです。

 今思うと,土日坐禅会を3年続けたボクは、それなりの天狗になっていてカラ自信満々のまま,海外にでかけ,世はまさに禅ブームだったので、知ったかぶりをしていたと思います。しかし,いろいろなところで自分に似たような中途半端な日本人がブームをいいことに禅指圧とか,何でもかんでも禅の名をつけて商売をいていればうける様な風調も帰国の一因でした。

 主人公のネオを導いたのは白兎でした。ボクを禅の道に導いてくれたのは,鍼灸関係の二人の先生と学友でした。ボクは最初はあまり気乗りしなかったのですが、途中で学友そっちのけで禅にのめり込んでいきました。
 
 初めて寺で坐禅したとき、足の痛さと、ただただ時間が無駄に過ぎていく様な気がして、無性に腹が立つたのですが、そのときふと、思ったのです。まてよ、今までボクにとっての時間とは,生と死を結ぶ方向に”直線に進んでいく”としか考えていなかったから,無駄な時間を過ごすことに腹が立ったのではないだろうか・・と。禅の時間はまた違うのではないか?と。ボクはこの時,直感で違うことがわかっていたと思うのですが,その事をどうしても確認したかったのだと思います。これがボクの本当の禅入門の理由であったと思います。