拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

還暦とReligion

還暦…から7年も過ぎたが、還暦は60歳の時のみを意味しているのだとは思わない。

60過ぎたらそれ以降がすべて還暦ということ。というのは

Religion(宗教)をググると、ラテン語でRe (再び)+Ligare(結びつける)…と説明がある。それに最近、フランスで有名な美人ユダヤ教ラビ(指導者)の講演を直接聞いて知ったことだけど、Religionにはもう一つの意味があって『再読する』…という意味もあるそうだ。

じつは、『還暦』には『人生の再読』『真なるものと再び結びつく』…という機能が配されていることに気がつく。

これまで、忙しく前ばかり見てきた人間に、自分の過去を精査する還暦を設けた先人はさすがだ。

それで、今日突然フラッシュしたことは、『雲頂庵和尚』だ。

禅の修行は大小混ぜるとのべ8年ぐらいの期間にまたがって、それこそボクの脳内メモリーには様々な思い出があって、ボクにとってその重要度というのが30年以上立った今まさに精査しているようなのだ。

これまで、あんなことがあったなぁ〜…程度のことが、いやいやあれは実に重要であった…と各メモリーを精査再読し、再結晶している。

その中で今日は雲頂庵和尚が再結晶したのだ。

ボクの禅修行歴の中で、雲頂庵和尚との出会いは、今考えると実に貴重な出会いであったと思う。

和尚とは円覚寺の居士林という一般人を対象に禅修行する道場で、道場の責任者の和尚と一修行者であり、和尚がいない時に参加者を導く係(日によって直日(じきじつ)、侍者(じしゃ)、典座(てんぞう))を拝命された自分の関係であった。

この若い和尚は、臨済禅の家風を見事に体現する和尚で、一般的に初心者を親切に指導する風な柔らかな雰囲気の和尚達とはだいぶ違っていた。(和尚はボクより若かった、当時ボクは35、6歳、彼はたぶん32、3歳であったろう?)

本で読み知った臨済禅の創始者、臨済禅師を彷彿させるまさに竹を割ったような和尚で、彼が道場にドシドシと入ってくると道場の空気がキーンと張りつめるようであった。以前のあたりの柔らかい和尚からこの雲頂庵に変わった時、ボクはちょうど新米の役目を配した直後であったので、典座(朝食を準備し、給仕する役)などでも、少しでも躊躇しているようなところがあれば、(つまり気を使いすぎてもたもたしているような時)和尚が給仕しているボクの手からシャモジをもぎ取って、給仕の仕方を身を以てみせてくれたり、警策という棒で肩を叩くときでも、モサモサした叩き方であったら警策をボクからもぎ取って叩き方を示してくれたりして、新米指導者のあり方というものを本当に親切に教えてくれたことは、その後のボクの人生に大きな影響を及ぼしたに違いない。ただ、この雲頂庵和尚は一年半ほどで、突然の辞任の挨拶で居士林の指導者から引いた。この時、相方のニコルも和尚のもとで一緒に指導を受けていたが、最後の日にニコルは欠席していたので、後日和尚が突然辞めたことを知って、驚くというか、あまりにも禅的な別れにカルチャーショックを受けたようだった。

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年末最後の坐禅を終えて、これからささやかな食事会を迎えるところ。(ニコル撮影)

左から2番目、鼻血がでて鼻に紙をつめて、大笑いしているボク、その右隣りのいつもほのぼのとしたユーモア禅者のM氏、そのとなりが真面目一徹の禅者 I 氏、それに雲頂庵和尚の左に座っている、大先輩W氏など土日坐禅会を支え合った同志等と、普段白い歯を見せることのない道場ではめずらしい今から31年前の貴重な写真。